白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

旅する年を終えた今年は

2011-01-03 | 日常、思うこと
旅する年を終えた今年はどんな年になるのだろうか。





12/29~1/3まで、実家に帰省した。
地上デジタル放送への対応を兼ねて工事したらしく、
全ての通信が光回線に切り替わっていた。
祖母に会うことは出来なかった。
父は眠りがち、母はこの1年で3kg痩せたようで、
2人とも一回り小さくなっていた。
生来続けられてきた初詣は、昨年を以って終わった。
元日は、妹夫婦が来たので、酒宴となった。
両親と妹を交え、おそらく初めて家族写真を撮った。
妹夫婦が泊るとなれば、寝る場所も変わる。
ピアノを弾くこともなかったから、居場所に困った。





昨年一年間の旅の記憶を整理しておく。





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●2010/01/22~24 大阪・豊中・箕面・池田・西宮

大学時代に所属していたサークルのOB会に参加し、
旧居や、いくつかの思い入れの深い場所を訪ねた。





●2010/02/01~02 札幌

千歳からの車窓は白く、夜は-10℃に凍えていた。
狸小路の、ラーメン赤星の暖か味が懐かしい。
BARやまざきの、老マスターはお元気だろうか。





●2010/03/24~25 島原

長崎空港から2時間、車窓には、鉛色の海と空。
普賢岳災害の痕跡と復旧の様子を間近に観て回った。
名物「六兵衛」は口に合わなかったが、厚情に感謝。





●2010/05/01~05 実家へ帰省

5月1日に妹が入籍し、名前を変えた。
実家に帰省し、初めて義弟と会わせてもらった。





●2010/06/19~26 ドイツ・スイス

仕事のため、7泊9日の行程で渡欧した。
詳細については、洋行譚として、別に記してある。
この文章をクリックしてご覧頂きたい。






●2010/07/11 実家へ帰省

参議院選挙の投票のため、日帰りで帰省した。
結果は、民主党の惨敗に終わった。





●2010/08/02    千葉・佐原

仕事のため、35℃の炎天の下を歩きまわった。
量が多く、ダシの甘いかつ丼を食べた記憶がある。





●2010/09/18~20 実家に帰省

運転免許の更新のため、帰省した。
伊勢神宮へ参拝の折、あまりのひとの多さに
昼食を断念して、豊饒の神からひもじく帰った。





●2010/10/01~02 名古屋・彦根

仕事のため、早朝に名古屋入り、夕刻に彦根と、
目まぐるしく動き、翌朝には東京へ戻った。
名古屋城へも彦根城へも、幼い頃によく行った。





●2010/10/15~17 実家~大阪・吹田

妹の結婚式のため、慌ただしく帰省し、
親族を連れて、実家と大阪の間を往復した。
何だか狐につままれたように、時が流れた。





●2010/10/18~19 福岡・天神

大阪往復の休みなく、仕事のため福岡へ入った。
ソフトバンク敗退の夜の街の、淋しかったこと。
一風堂、ひょうたん寿司、久留米大砲と廻り、
ひとり食い倒れていた感が強い。





●2010/10/24~25 名古屋

仕事のため、休み返上で名古屋を訪れた。
豪雨を抜け、大須の洋食店のロールキャベツで
身体を暖めた。





●2010/11/01~02 松江・出雲

初めて、山陰を訪れた。
この土地のひとは控えめで気位が高い。
松江・神代そばの新蕎麦をとろろ割子で頂き、
夜はノドグロを煮付けと刺身で頂いた。
出雲門前でも、蕎麦を頂いた。
松江の城郭と掘割、大橋川と宍道湖の景観も
素晴らしいものだったけれど、
出雲大社と、その脇にある博物館が所蔵する
400本の銅矛と30の銅鐸を眺めるに、
この土地には伊勢の神・大和の王権と異なる
神が座し、神話があり、国があったのだと
強く感じざるを得なかった。
縁結びも願ったが、伊勢の神と喧嘩しては
いないだろうか。





●2010/11/12~13 岩手・仙台

仕事のため、岩手の山間部の町を訪ねた。
啄木の旧居の近くに住む者にとって、
啄木の故郷に感慨が無いと言えば嘘になる。
いわて銀河鉄道という線に乗ったが、
宮沢賢治の故郷はもっと南にある。
仙台で本場の分厚い牛タンに舌鼓を打った。





●2010/11/17~20 熊本・阿蘇

泊りこみの根詰め仕事のあと、阿蘇に泊った。
熊本城の石積み・縄張りの機能美には
嘆息するばかり。
阿蘇の外輪山を走破し、夕暮れの阿蘇五岳の
闇へ沈むさまの、なんと美しいこと。
産山村の秘湯で湯治した翌日、阿蘇へ登った。
凱風快晴、雄大な景観を前に、黙した。





●2010/11/29~30 沖縄

知事選挙の翌日という時期の沖縄を訪ねた。
嘉手納基地の近く、再開発ビルのフロアは
ほとんどががらんどうになっていたが、
3階の一角にだけ煌々と電気が灯っていて、
ひとがごった返していた。
ハローワークである。
沖縄の若者の失業率は2割近い。
夜、土地のひとに案内されるがままに飲み、
気がつけば午前5時、10時間経っていて
まだ飲めるだけの余裕があった。
首里城で、豪雨に見舞われた。
僕は沖縄で、まだ青空を一度も観ていない。





●2010/12/12~13 釧路・厚岸・浜中

伊福部昭の故郷の風景は、内地と全く違う。
フランス・エトルタ海岸のような断崖絶壁と
それに続く丘陵を挟んだ反対側には、
広大な湿原がある。
入江に沿うように家々が並ぶ。
天橋立のような砂州の延長線上に島があり、
鉄橋で結ばれている。
発電用風車が廻っている。
宮崎駿が好みそうな地だが、浜中の町からは
モンキー・パンチが出た。
それゆえ、ルパン三世は北海道浜中の出身と
作者自身が説明したこともある。
蟹、鮭、イクラ、数の子、帆立、牡蠣、雲丹、
海老、シシャモ、鯵、鯖、鰯、鰊、その他にも
多くの美味・珍味を食してきた。
それでも最も印象深いのは、丹頂鶴と湿原、
断崖と尾白鷲という、この土地だけで見られる
鳥と自然のまぐわうさまである。





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年は変わった。
東京への長い旅も、もうすぐ終わる。
本年も、どうぞよろしく。






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