さてさて。今年のメリーモナークフェスティバル、通称メリモの顛末を順をおってお話ししたいと思います。
ところでメリーモナークって、私たちは「メリモ」と略すけど、「メリモナ」と言ってる人もいるようですね。
マックとマクドみたいに別の系統が生まれて定着しちゃったんでしょうね。
ちなみに雑誌「素敵なフラスタイル」は「すてフラ」と略します(これこそウチだけで通用する略語のような気がしますが)。
今回はチケットの都合で毎晩違う席でした。
だから日によって景色がだいぶ違い、あの場所に行きさえすれば同じような一体感が味わえるかと思うと、そうでもないみたいです。
あと、つい近い方が臨場感があって良さそうに感じられますが、これも一概にそうとはいえないみたいです。
場所によっては、前列との段差がなくて見えにくかったり、フォーメーションが見えなかったりするおそれもあるんですね(もっとも、マプアナ・デ・シルバさん目当てならば、もちろん近いからといってフォーメーションが見えないことを気にする必要はありません)。
最初のミス・アロハ・フラの日が舞台真正面の一番上=最後方で、カヒコナイトが舞台の真横のアリーナ席、そして最後のアウアナが所謂下手側の上部でした。
ここは見やすかったけれど、なんだか仮設ベンチみたいな信用のおけない足場なうえ、結構高い位置なのに下がスカスカで何か(もしくは自分)が落ちたら下までまっ逆さまという、かなりスリリングな場所でした。
また、なぜかこの場所は日本のハワイアン業者さんの密集地帯であったようです。
私の隣の女性は大阪の業者さんで、私が一心不乱に描き殴っている出場者の衣装イラストを見て同業他社かと思ったらしく、おそるおそる私の正体を尋ねてきました。
まあ普通そう思いますわな。じっさい、私の斜め前に座ってた女性も描いてました。でも、フラ教室の人間でここまで細かいツッコミを入れて描いてるのはおそらくうちだけだと思います(笑)。
こういうフラ大会の衣装ウォッチングをする場合、デザイナーとしてシルエットなどに着眼する視点と、曲の意味を理解できるフラ専門家の視点の両方を兼ね備えた人間が見てはじめて意味を成します。
メリモ後に「どうやらメリモのあの衣装を真似したっぽい衣装」が多く出回りますが、大抵のモノはこれらの視点のいずれか(時には両方)が欠けていますね。ほんとは上辺だけ真似しても何の意味もないのにね。
私はハワイ語で言ってることが大分わかってきたので、衣装のメッセージも読み取れるようになりました...といいたいところなんですが、とんでもないです。まだまだです。とてもその域には達しません。
だいたい、それがわかるためには歌詞だけ聞き取れればいいってものじゃなく、曲の背景(時代や作った人のこと)までリサーチしなければならないのです。
だから、現地でその道のスペシャリストを捕まえてなるべくコメントをいただくことにしています。
マミちゃんの影響で、うちはダンスの衣装としてどれほど効果的かということを主眼において見ていますから、フラの専門家からみた見解を伺うと改めて目から鱗が出る思いです。
うちではマミちゃんの方がシルエットに関しては充分これでもかってほど気にしているので、私はぜひともフラの専門家の目でみられるようになりたいものです。
でもそんなひよっこな私も今回一度「え?ほんとにこの衣装でこの曲踊っていいのかな?」と思ったことがありました。
あとで専門家の方に聞いたら、偶然にも私と同じく、やはりその衣装は曲に適切でなかったのではないかというご意見。
もちろん意見の相違というのはあるので、だから私の考えが合っていたとかいうわけではないんですが。ほんの少しフラという言語が聞き取れたような感じがして、嬉しかったです。
もちろん、自分と異なる意見を聞くのも大歓迎。というか、私は自分の好きなものへの批判を聞くのが好きという、変態的側面があるのです。
感情論はいやですよ。でも、きちんとした根拠があっての批判的意見なら、いくらでも聞かせてほしいです。
私は自分の好きな人やモノにも欠点があることを喜んで認めるし、それらを鑑みてもなお好きといえるくらいでなければ、本当の意味で好きとはいえませんものね。
うーんと、例えるならばあれだな、よく「彼氏のここが嫌だから直したい(直してほしい)」という人がいますが、私に言わせればそれは、本当にその人のことを好きなわけじゃないんだと思います。まあ、そういう人とは無理して付き合わない方がいいな(笑)。
「カエルのキャラクターものはかわいいけれど、本物のカエルは気持ち悪い」といってる人は、本物のカエル好きじゃないってことと同じですね。
ところでメリーモナークって、私たちは「メリモ」と略すけど、「メリモナ」と言ってる人もいるようですね。
マックとマクドみたいに別の系統が生まれて定着しちゃったんでしょうね。
ちなみに雑誌「素敵なフラスタイル」は「すてフラ」と略します(これこそウチだけで通用する略語のような気がしますが)。
今回はチケットの都合で毎晩違う席でした。
だから日によって景色がだいぶ違い、あの場所に行きさえすれば同じような一体感が味わえるかと思うと、そうでもないみたいです。
あと、つい近い方が臨場感があって良さそうに感じられますが、これも一概にそうとはいえないみたいです。
場所によっては、前列との段差がなくて見えにくかったり、フォーメーションが見えなかったりするおそれもあるんですね(もっとも、マプアナ・デ・シルバさん目当てならば、もちろん近いからといってフォーメーションが見えないことを気にする必要はありません)。
最初のミス・アロハ・フラの日が舞台真正面の一番上=最後方で、カヒコナイトが舞台の真横のアリーナ席、そして最後のアウアナが所謂下手側の上部でした。
ここは見やすかったけれど、なんだか仮設ベンチみたいな信用のおけない足場なうえ、結構高い位置なのに下がスカスカで何か(もしくは自分)が落ちたら下までまっ逆さまという、かなりスリリングな場所でした。
また、なぜかこの場所は日本のハワイアン業者さんの密集地帯であったようです。
私の隣の女性は大阪の業者さんで、私が一心不乱に描き殴っている出場者の衣装イラストを見て同業他社かと思ったらしく、おそるおそる私の正体を尋ねてきました。
まあ普通そう思いますわな。じっさい、私の斜め前に座ってた女性も描いてました。でも、フラ教室の人間でここまで細かいツッコミを入れて描いてるのはおそらくうちだけだと思います(笑)。
こういうフラ大会の衣装ウォッチングをする場合、デザイナーとしてシルエットなどに着眼する視点と、曲の意味を理解できるフラ専門家の視点の両方を兼ね備えた人間が見てはじめて意味を成します。
メリモ後に「どうやらメリモのあの衣装を真似したっぽい衣装」が多く出回りますが、大抵のモノはこれらの視点のいずれか(時には両方)が欠けていますね。ほんとは上辺だけ真似しても何の意味もないのにね。
私はハワイ語で言ってることが大分わかってきたので、衣装のメッセージも読み取れるようになりました...といいたいところなんですが、とんでもないです。まだまだです。とてもその域には達しません。
だいたい、それがわかるためには歌詞だけ聞き取れればいいってものじゃなく、曲の背景(時代や作った人のこと)までリサーチしなければならないのです。
だから、現地でその道のスペシャリストを捕まえてなるべくコメントをいただくことにしています。
マミちゃんの影響で、うちはダンスの衣装としてどれほど効果的かということを主眼において見ていますから、フラの専門家からみた見解を伺うと改めて目から鱗が出る思いです。
うちではマミちゃんの方がシルエットに関しては充分これでもかってほど気にしているので、私はぜひともフラの専門家の目でみられるようになりたいものです。
でもそんなひよっこな私も今回一度「え?ほんとにこの衣装でこの曲踊っていいのかな?」と思ったことがありました。
あとで専門家の方に聞いたら、偶然にも私と同じく、やはりその衣装は曲に適切でなかったのではないかというご意見。
もちろん意見の相違というのはあるので、だから私の考えが合っていたとかいうわけではないんですが。ほんの少しフラという言語が聞き取れたような感じがして、嬉しかったです。
もちろん、自分と異なる意見を聞くのも大歓迎。というか、私は自分の好きなものへの批判を聞くのが好きという、変態的側面があるのです。
感情論はいやですよ。でも、きちんとした根拠があっての批判的意見なら、いくらでも聞かせてほしいです。
私は自分の好きな人やモノにも欠点があることを喜んで認めるし、それらを鑑みてもなお好きといえるくらいでなければ、本当の意味で好きとはいえませんものね。
うーんと、例えるならばあれだな、よく「彼氏のここが嫌だから直したい(直してほしい)」という人がいますが、私に言わせればそれは、本当にその人のことを好きなわけじゃないんだと思います。まあ、そういう人とは無理して付き合わない方がいいな(笑)。
「カエルのキャラクターものはかわいいけれど、本物のカエルは気持ち悪い」といってる人は、本物のカエル好きじゃないってことと同じですね。