「憲法9条」
第九条
○1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『使える9条』 (『マガジン9条』編、岩波ブックレット No.721)を読みました。
私はこの本を読んで、(「憲法9条」を守るのも良いかも)、と思いつつあります。
永井愛さんが書かれていた、たとえば改憲派の
1、「国が戦力を持つのは、強盗から身を守るために、家に戸締りをするようなもの。非武装中立をt主張するなら、家のセキュリチィシステムを解除して、かぎえぉ掛けるのをやめないと、おかしい。」」
という主張に対して、
「家の戸締りは外からの侵入を防ぐだけだが、武力は人を殺す。家の戸締りをいくら厳重にしても、周囲には不安を与えないけど、軍備を増強すれば周囲の国を警戒させる。そもそもそれはたとえになっていないんだ」
という反論。
2、「軍備を持たないというのなら、あなたは道で暴漢に襲われても、抵抗しないんですね」に対して、
「暴漢を他国の襲撃にたとえるなら、’暴漢に襲われるかもしれないから、必ずナイフを携帯して、襲われたら迷わず刺して、その暴漢の家も壊して、家族も殺しましょう」、というところまで言わないと、「軍備をもつ事」のたとえにならない。
そもそも他国が攻めてくる前には、必ず両国の関係が悪化する期間があるのだから、ある日突然襲いかかってくる強盗や暴漢を、国をたとえること自体に無理がある。
3、「他国が攻めてきたらどうする?」というたとえから始めるというのは、攻められないための努力を放棄」してなおかつ、「軍隊があれば安全」という前提に立ってしまっている。
(引用終わり)
私はこれらを読んで、(わが意を得たり!)と思ったのです。「会話のキャキボール」になっていると思ったからです。
つまり、改革派、護憲派、各々が良いこと言っていると思うのに、今まであまり「憲法論議」が盛んにならなかったのは、会話のキャッチボールになっていなかったからではないか、と思ったのです。
私はこれでも、反論があります。
2、で、「ある日突然襲いっ科かかってくる強盗や暴漢に国をたとえること自体に無理がある」とありますが、私は「無理はない」と思います。
北朝鮮がテポドンを発射したのも「ある日突然」だったでしょう?
核実験をしたのも「突然」だったでしょう。
「9、11」もそうだったですよね。
しかも「9、11」なんか、「両国の関係が悪化する期間がある」といったって、「相手国」が分からないのに、「関係が悪化する(期間)」も何も、あったもんじゃないと思いますけど。
どのように反論されるのでしょうか?
意見が対立するというのは、むしろ、自然なことですよね?。
いかに真摯に受けとめて的確なこと絵を返せるか、
返せない人がいても良いんです。そういう場合は、分かる人が’助け船’を出してあげたりすればよいことなんだから。
× × × × × × × × × × × × × × × ×
アメリカよ、イラクから手を引け!!
× × × × × × × × × × × × × × × ×
==============================
現在メールは受け付けておりません。
第九条
○1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『使える9条』 (『マガジン9条』編、岩波ブックレット No.721)を読みました。
私はこの本を読んで、(「憲法9条」を守るのも良いかも)、と思いつつあります。
永井愛さんが書かれていた、たとえば改憲派の
1、「国が戦力を持つのは、強盗から身を守るために、家に戸締りをするようなもの。非武装中立をt主張するなら、家のセキュリチィシステムを解除して、かぎえぉ掛けるのをやめないと、おかしい。」」
という主張に対して、
「家の戸締りは外からの侵入を防ぐだけだが、武力は人を殺す。家の戸締りをいくら厳重にしても、周囲には不安を与えないけど、軍備を増強すれば周囲の国を警戒させる。そもそもそれはたとえになっていないんだ」
という反論。
2、「軍備を持たないというのなら、あなたは道で暴漢に襲われても、抵抗しないんですね」に対して、
「暴漢を他国の襲撃にたとえるなら、’暴漢に襲われるかもしれないから、必ずナイフを携帯して、襲われたら迷わず刺して、その暴漢の家も壊して、家族も殺しましょう」、というところまで言わないと、「軍備をもつ事」のたとえにならない。
そもそも他国が攻めてくる前には、必ず両国の関係が悪化する期間があるのだから、ある日突然襲いかかってくる強盗や暴漢を、国をたとえること自体に無理がある。
3、「他国が攻めてきたらどうする?」というたとえから始めるというのは、攻められないための努力を放棄」してなおかつ、「軍隊があれば安全」という前提に立ってしまっている。
(引用終わり)
私はこれらを読んで、(わが意を得たり!)と思ったのです。「会話のキャキボール」になっていると思ったからです。
つまり、改革派、護憲派、各々が良いこと言っていると思うのに、今まであまり「憲法論議」が盛んにならなかったのは、会話のキャッチボールになっていなかったからではないか、と思ったのです。
私はこれでも、反論があります。
2、で、「ある日突然襲いっ科かかってくる強盗や暴漢に国をたとえること自体に無理がある」とありますが、私は「無理はない」と思います。
北朝鮮がテポドンを発射したのも「ある日突然」だったでしょう?
核実験をしたのも「突然」だったでしょう。
「9、11」もそうだったですよね。
しかも「9、11」なんか、「両国の関係が悪化する期間がある」といったって、「相手国」が分からないのに、「関係が悪化する(期間)」も何も、あったもんじゃないと思いますけど。
どのように反論されるのでしょうか?
意見が対立するというのは、むしろ、自然なことですよね?。
いかに真摯に受けとめて的確なこと絵を返せるか、
返せない人がいても良いんです。そういう場合は、分かる人が’助け船’を出してあげたりすればよいことなんだから。
× × × × × × × × × × × × × × × ×
アメリカよ、イラクから手を引け!!
× × × × × × × × × × × × × × × ×
==============================
現在メールは受け付けておりません。