地球の危機!

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「自己責任」

2008-06-30 11:02:24 | Weblog
「自己責任」

アメリカ社会の原則は、「自己責任」ということだそうだ。

私はこの、「自己責任」ということには反対だ。尤もこれは、私の無知から来る。

「自分の責任において、言ってもいいよ。してもいいよ。」、というふうに扱われたら、どういう状況になるのか、分からない。

自律ではなくて、他律で扱われて(意欲とかが無くなっていって、その挙句に、「自己責任なんだからね」、というふうに扱われると、非常に具合が悪い。(生きていくのが困難になる)

だから、私は「自己責任」には反対だ、と言っているのだ。

吉川英治の、『上杉謙信』(講談社)に、上杉謙信には「弥太郎」という部下がいたが、弥太郎は、かつては「鬼小島弥太郎」と言われていたほどに、上杉家の家訓を破ったり、事件を起こしたりしていた。

しかし謙信は、「困り者」の代名詞のような鬼小島弥太郎でも、一人前になるまでは、「いつか何かの時にはお役に立とう」と、しばらくその中に生息を許したのであった。

ということが書かれてあります。(文章は、少し変えました)

私は(これだ!)と思いました。

自己責任というのは、例えば、野菜を買って帰ったら腐っていた、そういうのは、自己責任なんですよ。「あんたがよう見んからじゃが」(あなたが良く見ないからよ)、となる。

だけど、何かちょっと変な人ーーボーとしているように見えるとか、会話に入ってこないとか、…
そういう人は、まず、他の人からの助けが必要なのだ。他の人から自分を認められることが必要なのだ。まず、その体験をすることが必要なのだ。(そういう場合が多いと思う)

これを求めるのは、わがままなんだろうか?

事故に遭えば、その時から自分が障害者になるかもしれないのだ。

障害者が暮らしやすい社会を作ることが、「わがまま」だろうか?

体が傷付いたら、お医者さん(医療機関)がお世話してくださるように、心が傷付いたら、関心のある人が助け合えばよいと思う…

「自己責任だよ」と突き放さないで、「できなくてもいいよ」、「ボーとしているのも有りだよ」ということが許される社会を作ろうとするのは、「わがまま」なんだろうか?


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