
今日は見事なこぶしの木に出会いました。
いよいよ咲き始めました。
白川通を下がった銀閣寺道の交差点では、哲学の道を散策しようとする人たち、散策を終えた?人たちであふれておりました。
信号待ちの車から、咲き始めのうっすらした桜が目に入ります。
「日本は桜の国」だ。
うかうかしてはおれないのである。(赤瀬川原平『仙人の桜 俗人の桜』)
所用で外出の身。明日に気持ちを向けて考えます。
賀茂川べりへ足を延ばそう。少し北へ、山桜に逢いにも行きたい。なるべく人気のない場所で、ゆっくり静かに、と。

「土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、都踊りを見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊まる。」
「明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中之島の掛茶屋あたりで持ってきた弁当の折り箱を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。」
「平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、此の神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで…。
まさに春の日のくれかゝらうとする、もっとも名残の惜しまれる黄昏の一時を選んで、半日の行楽にやゝ草臥れた足を曳きずりながら、此の神苑の花の下をさまよふ。」
「たまには場所を変えようと(貞之助が反対を唱え)、錦帯橋まで出かけたが、忘れ物をしたような心持ちで、やはり京をたずねている。御室の遅咲きの花にまに合った。」
大阪からやって来て豪華な、花酔いしそうな京の桜名所めぐり。
谷崎潤一郎の『細雪』で描かれます。これを読み返すだけで花見はもう十分の気分。
桜はすぐに散ります。
乗り遅れないようにと思うと、やっぱり「うかうかしてはおれない」気持ちが湧く。また、そんな気持ちにならないと、まあいいかと済ませそう?
いけないよ。何も特別感はいらないけれど、ちょっとそこまで、足を運んでみよう。
ためらっていると幸運をのがしてしまいますからね。
明日ありと思ふ心のあだ桜・・・
吉野ですら古来の山桜はごく一部で、申し訳程度に咲かされています。
とはいえ、桜は美しいですね。
今年は京都の洛南、洛北、洛中、洛西の桜を楽しみましたが、まだつぼみのところと満開のところの差が激しかったです。
月並みですが、高瀬川が4/3時点では満開でした。
桜も気を抜くと、まったく見られない年があります。
十年ばかり前に忙しく、まったく見ない年がありました。
奈良では少し歩くとあちこちに桜が咲いているというのに、、、です。
明日ありと思ふ心のあだ桜・・・
本当にしみじみとそう感じます。
お花見だけではありませんよね。
そうあわてるな!と言われようが、思い立ったら行動に移せる力もまた残しておきたいです。
「まったく見ない」、見る余裕もなかったということでしょうね。
Ranchoさんを追いかけ、お花見楽しませていただきました。
昨年、千本釈迦堂で御衣黄桜を堪能しました。
高瀬川も人気のスポット、人出も多いでしょうね。
公園が多くあって、どこも桜が美しい盛りです。