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なにしているの?
涼しくて気持ちいいのだもの / 散歩をしたいよ / アマガエルは / おうちの玄関をわらで隠し / ぴょんぴょん出かけてきた
おーい、こんちわと言うのに / 口を一文字にむすんで / 喉をグビッと小さく動かして / 眠たげに眼をぼやっとあけ /
邪魔するなといわんばかり / パクッと開けた口をまたむすぶ ・・・ここなら誰にもわからないと思ったのに … って??
稲刈りが終わった田んぼの脇の柵囲いに、よく見ると一匹のカエルがご覧の通りじっとしている。「秋の蝶」もあれば「秋の蛙(かわず)」の季語もあるようだ。暑い夏の日がすぎて、この心地よさは人もカエルも同じなのだろうか。それとも、ねぐらの頭の上の賑やかな秋の取入れで追い出されてきたか。帰るところはあるのだろうか。一人ぼっちかい?
牟礼慶子さんの詩を思いだした。
「…くらい土の中では / やがて来る華麗な祝祭のために / 数かぎりないものたちが生きているのです /・・・」(「見えない季節」)
どこが思案気な様子を漂わせて、秋には格好のポーズとなりそうだ。これから長い冬眠に入る蛙クン、なに考えているの?
素敵な世界を楽しませて頂きました。
まさに、ねぐらの頭の上を刈り取りの喧騒が過ぎた後の安堵感でしょうか。
ちょっとお散歩に出かけてみれば、見知らぬお方がカメラを向けてくる。アンタ、だれ?
とでも言いたげな大きな眼。
陽射しも柔らいだ秋の一日、心地いいひと時を過ごされましたね。
庭をぼんやり眺め、何時しかまどろみに・・・・。
じっと止まっているトンボやチョウも、カマキリもヤモリも
みんな自分と同じような思いを巡らせているのかなあ~。
何もかも忘れて、心地いい季節にどっぷりつかりたいと思います。
じっとさせておいてやりたいですよね。
じろっとこちらを見ましたが素知らぬ顔で?動きません。
動きやすくなってつい欲張りがちですが、頑張りすぎずに時にはこの季節をゆったり楽しみたいですね。
ぼんやり過ごしてはもったいないと感じてしまって、つい欲張りそうですが、
よく考えればそれももったいなく思えます。
本当の豊かさ、考えさせられます。
のんびりした時間を作りだしながら放電、そして充電、また頑張れそうです。
「秋の蝶」、「秋の蛙」ですか。素敵な季語があるんですね!
俳句をされていると周りの自然の移り変わりの見え方や気づき方も違ってくるのでしょうね。
牟礼慶子さんの詩、
「…くらい土の中では / やがて来る華麗な祝祭のために / 数かぎりないものたちが生きているのです /・・・」(「見えない季節」)
こちらも心に静かに染み入ってくる、とても美しい詩ですね。
是非私も手元におきたいので探してみます。
飛んで逃げ出すわけでもなく、まさに「あんた誰よ!?」と眼を開けましたが、
そのままじっとしています。
秋はちょっと気むずかしげに思索のポーズも似合いますね。
ポーズだけでも仕方ないのですが、よい季節になってきました。
歳時記など読むのは好きですが、なかなかそれ以上は…。
言葉の置き方なども上手にされますよね。なかなか真似できません。
詩集『魂の領分』に収められています。