今年は西国三十三所草創1300年にあたるとのことで、皇室の御寺・泉涌(せんにゅう)寺(東山区)の塔頭・今熊野観音寺(第15番札所)では秘仏の特別公開が毎月18日に行われている。「18日は観音さんの日やろ」と教えられ、ああそうそうと思い出しては忘れてしまって9ヵ月、昨日その秘仏拝観に参拝した。
バスを降りて、軽い上り坂の泉涌寺道を東へと進む。二十五菩薩お練り供養で知られる即成院を左に見て、さらにまっすぐ。一番奥に泉涌寺があるが、その少し手前を左に曲がれば今熊野観音寺はほどなくのところ。
正面から靴のまま本堂の階段を上がる。ご本尊を拝観したいと申し出たところ「右側から入ってください」と言われ、「右側」の入り口に回った。そこで拝観料200円を。「どうぞ仏足跡を踏んでからお進みください」の言葉に従って、内陣に進む。ほんの何歩かの移動だが狭くて暗くて、こんなところでけつまずいてはまずいと用心が要った。
本尊の十一面観世音菩薩は秘仏の観音さまで、普段はお厨子の中におられる。なので御前立が安置されているが、それがまた金ピカで美しくどんな造りかと見とれたが、その大きな御前立の後ろにお立ちなのが秘仏とされるご本尊。ライトも軽く当てられてはいるがうす暗く、お前立の左から、右からと交互に何度かのぞくがお顔から頭部ははっきり見えない。眼鏡を取り出してみたが、頭上の十一面などはさっぱりだった。仏様を「のぞく」とか「見る」だのと、随分な言葉だと心に引っかかりはすれ、見て得られるものはあるわけで、やはり気持ちは「見る」ことにかかってくる。秘仏だけに期待したが、残念なことに近づけるものがなかった。
せっかくここまで来たのだからと泉涌寺も訪れてみた。学生時代に来て楊貴妃観音に出会った。「一笑すれば百媚生ず」と習った楊貴妃だが、焼き付いていたイメージとは違い、意外と小さいんだと思い直した。そのあともう一度、両親との3人で参拝していた。もう40年も昔になるが、玉砂利が敷き詰められた境内を一巡しながら父、母を思い出すひと時だった。
バスを降りて、軽い上り坂の泉涌寺道を東へと進む。二十五菩薩お練り供養で知られる即成院を左に見て、さらにまっすぐ。一番奥に泉涌寺があるが、その少し手前を左に曲がれば今熊野観音寺はほどなくのところ。
正面から靴のまま本堂の階段を上がる。ご本尊を拝観したいと申し出たところ「右側から入ってください」と言われ、「右側」の入り口に回った。そこで拝観料200円を。「どうぞ仏足跡を踏んでからお進みください」の言葉に従って、内陣に進む。ほんの何歩かの移動だが狭くて暗くて、こんなところでけつまずいてはまずいと用心が要った。
本尊の十一面観世音菩薩は秘仏の観音さまで、普段はお厨子の中におられる。なので御前立が安置されているが、それがまた金ピカで美しくどんな造りかと見とれたが、その大きな御前立の後ろにお立ちなのが秘仏とされるご本尊。ライトも軽く当てられてはいるがうす暗く、お前立の左から、右からと交互に何度かのぞくがお顔から頭部ははっきり見えない。眼鏡を取り出してみたが、頭上の十一面などはさっぱりだった。仏様を「のぞく」とか「見る」だのと、随分な言葉だと心に引っかかりはすれ、見て得られるものはあるわけで、やはり気持ちは「見る」ことにかかってくる。秘仏だけに期待したが、残念なことに近づけるものがなかった。
せっかくここまで来たのだからと泉涌寺も訪れてみた。学生時代に来て楊貴妃観音に出会った。「一笑すれば百媚生ず」と習った楊貴妃だが、焼き付いていたイメージとは違い、意外と小さいんだと思い直した。そのあともう一度、両親との3人で参拝していた。もう40年も昔になるが、玉砂利が敷き詰められた境内を一巡しながら父、母を思い出すひと時だった。
「楊貴妃観音像」は、見とれるような妖艶さですね(仏さまに失礼かな?)。
仏像好きの友人が、何度も京都に行くのに、一度も誘わないのは、やはり秘仏の為だったからでしょうか・・・
その友人に誘われて出かけた東慶寺(鎌倉)「水月観音菩薩半跏像」も、思いの外、小さくてはっきりお顔を拝見できませんでしたが、お像のすぐ前に座り、しばし、雰囲気に浸ったことを思い出しました。
信仰心はないのですが、何故か観音様には癒されます。
なんせ学生時代のことで、楊貴妃への関心から残像も大きく残ったのかもしれません。
東慶寺(鎌倉)「水月観音菩薩半跏像」、普段は非公開なのですね。
半跏像ではありますが、全体に見慣れない姿形ですね。
『東慶寺花だより』で勝手に東慶寺もイメージしていますが参拝してみたいです。
信仰心と結びつけると無理がありますよね。
ですが心のどこかに潜む仏縁がきっとそうさせるんだ…などと思いますね~。
仏像拝観には私自身もそうした感じはあります。
行き馴れない道は用心用心です。
秘仏さま、ご拝顔たまわりたく、私はそこまでの
信仰心はないのですが、やはり、自ずから、手を
合わせたくなりますよね。
楊貴妃観音像はやはり妖艶さが伝わりますか?
さて、何だか、ストレスを全部、食べ物に
変えてたように思います。少し頭を冷やして
食べることを控えたいです。
中国渡来ですが、ふくよかで大らかな外観にしっとりとした品を感じる、美しい観音さまだと思えます。
対面し合掌する機会が増えるにつれ心は落ち着きますし、
何かに守られているような感覚が生まれるようです。
信仰心とは別にしても…。
今、観音巡礼される方は多いですね。
ようございました。
写真に五色幕が見えますが、お寺で見かける度
その昔、中国奥地(チベット近く)で見かけたのを思い出します。
五色幕→五つの知恵を表すとか、
仏教寺院だけのようですね。
なにか行事の時だけ用いるのですか?
普段はかけないのでしょうか?
五色の幕も、ご開帳や法要などで張るのではないでしょうか。
ちょうどそうした折に参拝することが多いせいか、五色の帯はよく目にすることになるのですが…。
「仏像は美術品ではないので、拝まれて顔が変わる(立松和平)。拝む人の気が宿っている(玄侑氏)」
といった対談があったのを思い出しまして、本を探し出しました。
「狭い長屋の家事対策」、そうかもしれないと納得です~。
観たり読んだりの際に、これからは意識が向くだろうと思います。