京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

スター

2024年03月01日 | 日々の暮らしの中で
「我が家のスターです」

門前に自転車を止めて、「きれいに咲いたなあ」と言いつつ入ってきた文子さんに、こう返した(2月28日)。
蝋梅のあと、さしあたり水仙や椿や山茱萸といった花のほころびを待つくらいの我が家の庭で、花のスターは老梅だった。


おおかた、満開だ。
仏さまに、まっ青な空に、うららかな光を浴びた純白の花を手向けよう。
ひっそりと境内をつつむ静寂さこそが好ましい。

花に花どきがあるように、人生にも花どきがある。
杉本秀太郎氏が書いておられた(『花ごよみ』)。
花どきは一生に一度。あとになって、あれが花どきだったのかと気づいたときにはもう花どきはすぎていた、という形でしかおとずれない。健康なときは健康を気にかけないように、花どきのさなかの人は、いまが花どきとは容易に気づかない、と。


階段の隅に腰をおろして梅の木を見つめていた。我が人生の花どきを振り返ることもなく。ただただ静かに、じんわりとなにやら気持ちは満ちてくる。幸せいっぱい胸いっぱいの喜びにも似るかな。
 そこにお喋り大好きな文子さんがやって来た。


 

小学校2年生になった孫のLukas。
彼らの学校では一週間の終りに、“よいことをした人”を讃えて校長先生からスタフォード・スターが贈られる。
どんな小さなことでもすくい上げて、子供たちを賞賛する機会を数多く設ける教育は素晴らしいことだ。

手話の授業のときにクラスメートのお手伝いをしたから、だそうな。
お世話好きのLukasの一面を見いだしてもらえているのかしら。
彼もこの日は選ばれしスターでした。

コメント (4)
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