京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

伝道師

2024年03月25日 | 日々の暮らしの中で
先日、本法寺で等伯の涅槃図を拝見した折、ガイド氏が面白かったと言われた小説があった。
題名が少し違っていたが、正しくは『闇の絵巻』(澤田ふじ子)だろうと判断し、読んでみたいと思って取り寄せた。
上巻は山梨県から、下巻は茨木県からやって来た。ようこそようこそ。ようおいで。


ちょっとのあいだ(ですむならいいけど)、積まれて待っていてほしい。
読んでみたいと思うと買ってしまう。すぐ読めばいいのに読めなくて、積ん読。そうした本がたまってしまってずいぶんな数になった。
今度はこれを読もうと目に付くところに置くけれど、ひょいと新たに手に入れた本が割り込む。と、予定の本は元の場所へと後退せざるを得なくなる。
それでもちゃんと読もうという意識はあって、そばにあることは嬉しく楽しいのだ。


画家として装幀家としてなど幅広い活躍をされてきた司修さん。
司は小学校3年のときに敗戦を迎え、中学を卒業して働かなければならなくなり、荒れていた時代があったそうだ。
絵描きだけでは生活できなかった二十代半ば。彼は桃源社という出版社で、駅売りの新書版小説の表紙絵を描く仕事にありつく。毎月小説の内容にかまわず、数枚の絵を描いて持っていくと、会計係から原稿料の小切手を渡された。
会計係の「おばさん」は小切手とともに桃源社の新刊本を司にくれた。ここでの稿料が生活の支えだったので、とても嬉しかった。
会計係の「おばさん」は、新刊本をくれるときに「ひとこと、本のことに触れて喋った」

 「『ユリイカ』という雑誌、読んだことある?」
 「いいえ」
 「古本屋で見つけて読んでごらんなさい。きっと好きになる人がいますよ」
 「そうですか」
 「稲垣足穂は?」
 「知りません」 
 「きっと好きになりますよ」

司は稲垣足穂を好きになり、後に大江健三郎をはじめ、現代日本文学の最先端の作家の作品を想定していくことになる。

こんな話を岡崎武志氏の『読書の腕前』で読んだ。
氏は言われる。
「本を読む喜びは、いつだってこうして、目立たない場所で、ひそかに伝えられる。読書の薦めは、もともと岩から沁み出した泉のような行為なのだ」

若い絵描きの青年に、「おばさん」が文学を伝道する。
魔術のようなささやき、「きっと好きになりますよ」。

私にも導師は意外なところにいた。 

雨の花が咲いた日。
コメント (6)
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