京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば

2022年10月08日 | 展覧会
滋賀県大津市にある三橋節子美術館で拝見すればいいと思っていたので、思いがけない誘いだったが嬉しく同行させてもらった。
大津の友人宅までは車で行って彼女の車に乗り換え、3人で愛荘町立歴史文化博物館へと向かった。


先日、湖東三山のうち一番南の百済寺(ひやくさいじ)に参拝したが、その北の、三山では真ん中に位置する金剛輪寺の黒門を入ってすぐ、参拝受付の真向かいに建っていた。

壬申の乱から1350年という節目に、大津京、大友皇子と壬申の乱をテーマにした鈴木靖将氏の万葉画を拝見してきた。
絵にはそれぞれに万葉の歌が添えられる。古代最大の内乱、その終焉は劇的だった。大友皇子にまつわる伝承は現在も大津のまちで息づいているという。この「大友皇子何処へ」は最新作だそうな。


飛鳥から大津宮に遷都してわずか5年4ヵ月、大津京は壬申の乱で壊滅した。
「人麻呂は現実をいつも歴史的現実としてつかもうとする」「その宮廷につかえていた歌人。天皇行幸にはお供をし、詔に応じて歌を作る。『私』感情ではなく『公』の立場でうたう」
『万葉の旅』『万葉の人びと』などで犬養孝流の読みを楽しんだりしている。


壬申の乱のとき総指揮にあたった武市皇子が亡くなった折の挽歌(人麻呂作)に歌われた、乱の戦闘の場面を犬養孝の説明で読むと――。
壬申年(672)6月24日、吉野を進発した大海人皇子一行…、7月23日には近江を全滅させた。
【雷鳴のような太鼓の音、虎の吠えるような笛の音、まさに軍楽隊づきで、赤旗をなびかせ、つむじ風の勢いで進軍し、矢は大雪のように乱れ飛べば、近江軍も命がけで争う時、伊勢の神風が吹いた】とある。

「残照」と題した絵に添えられたのは近江の湖畔で懐古の感嘆をうったえた歌、「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ」。
これを3歳だった孫娘Jessieに暗唱させたことが懐かしく思い出された。
「おーみのみー ゆーなみちどりーながなけばーーーっ こころもしのにーいにしえおも●●」
雄たけびのごとし、などと当時記したが、最後だけは言いにくそうだった。
その彼女もこの2日、17歳の誕生日を迎えた。
この冬にはAUSから一人で日本にやってくる予定で、放課後のアルバイトにも励んでいるのだ。


黒門へと向かう帰りの参道。みごとな紅葉に包まれることだろう。
コメント (4)
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