
小さな傘を持っては出たが、降らなかった。昨日までの蒸し暑さもずいぶんまし。東本願寺さん近くまで、叔父のための供物を求めに出向いた。
叔父は母の二番目の弟で、目が少し不自由になった母親を兄の家から引き取り、一緒に暮らしていた。母が亡くなったとき、いわき市の家では母親が珍しく娘(私の母)の名前を呼んだと話してくれた。母が母親のもとを訪ねることは2回、3回あったのかなという程度の記憶しかない。帰りたかっただろうに。時間を作って帰らせてあげればよかった、どうしてしなかったんだろう。今になってこんな思いが湧いている。電話口で叔母が何度も「おにいさん」「おねえさん」と私の両親を呼んでいたからだろうか。

街中の、きれいに手入れされた門先に合歓の花が咲いていた。筆先が刷毛のような、ピンクの花のやさしさ。この花が咲き出すと、庭の片隅に、目の届くところに1本欲しいなという思いがおこる。ほんのりと、けぶるように、夢見ている花の風情。若い頃の叔母の面持ちが重なる。手元に残る写真を見ても、美しい人だった。
合歓の木は建築材はもちろん細工物にもならず“やくざな木”だ、と以前読んだことがあった。が、実は役に立たないということはなく、この木で作ったお櫃は水気をよく発散し、飯の変質が少ないと好んで使用する地方があったり、きめが荒く軟らかて粘りが強いので屋根板や鎌の柄に、桶などにも用いられ、大いに役立っているんだそうな。
一日で慶び事と弔い事の両方を済ませた。1年の半分が経過し、誕生月を迎えた。
「月日を重ねつつわれ枯れゆくまいぞ」