
わが国で行われている仏教各宗のほとんどは大乗仏教と言われる仏教である。理論と理性によってすべてが解決されるとした原初の仏教は、大乗経典の誕生によって「思議」から「不思議」への転換が起こった。それによって仏教の性格も祈りや礼拝の側面を強めてゆくことになった。果たして大乗仏教とは何か、伝統的な教団仏教と何が異なるのか…。
〈大乗仏教の不思議な世界〉を大テーマに3回目となる今日は、般若経の2回目で「すべては空か有か」という内容の講義でした。
大乗仏教の哲学のもとになった経典が般若経です。大乗仏教の基本的な観念は縁起説だとかつて学んだことはありましたが、今日の資料ではこう説明されています。【縁起という概念が空という概念に他ならない。それは一切が原因に基づいて仮構されていることを意味し、それがブッダの説いた中道に他ならない】
それが…、
【「それ故に、すべては空でなく、空でなくもないと規定される。有であるから、無であるから、そして有であるからである。そしてそれがブッダの説いた中道に他ならない」】
【「空でなく」とは、空性と虚妄なる部分が存在するという点ですべては空でない。「空でなくもない」とは、二つのもの、つまり所取・能取が存在しないという点ですべては空でなくもない。「有であるから」とは、…】
こうした資料の表現になると、自身の無知、なんにもわかっていないという土台が問題なのですが、さっぱりです。格闘するように読まなければならず、読んだとて内容的にちんぷんかんぷん。頭が追いつきません。楽しくない、と放り出していい? 知りたいと思っての参加でしたが、早くもギブあっぷっぷ。次回のテーマは「維摩経ー維摩のつたえたかったこと」とあります。
あ~あ。曇りのち晴れ、脳内すっきりさせなくては。