久しぶりの大阪行きだった今日。京阪電車特急で1時間余り、何度通過してもそのたびに風景や建物が新しく目に入る。見落としていたり、その時季だけのものとなる光景だ。この気づきは意外と楽しい。帰途、京阪三条で下車し少し歩くことにした。
夕刻5時半を回ってもコート要らずの陽気で、西日を正面に受けながら三条大橋を渡って、西詰めにある弥次さん喜多さんの像を眺めた。像の後ろ、橋下の河原では若者が音楽を楽しんでいた。三条河原と言えばかつては処刑地で、晒し首などが行われた歴史を持つ場所でもある。東海道五十三次の西の起点(と言っていいのか?)となる三条大橋、その西詰めに二人が立っている。
駿府でも五本の指に入る資産家・板面屋の一人息子として生まれた弥次郎兵衛。骨を折らずに設けることばかり考えている、怠け者だ。遊蕩三昧の挙句に店を閉じることになる。家中の金目のものをかき集めて夜逃げ同様に江戸へ出た。共に連れて行ったのが鼻之助。元服させて名を北八と改めるが、なんとこちらはすさまじい好色漢として描かれる。
色気と食い気が先立ち、失敗ばかり。旅は娯楽となって、笑いを基調に、伊勢参りは二の次だという二人の珍道中、『東海道膝栗毛』。
お伊勢参りを果たしたあとは京都にもやってきた。大阪や四国にも足を伸ばしている。
どこへ繰り出そうかと算段しているのだろうか。江戸時代、京でどんな風景を見、どんな失敗をしたのか。二人の顔からなんとはなしに笑いが誘われる。
愉快な紀行文が書けないものかしら…。二人に手を合わせてきたわけではありません。
夕刻5時半を回ってもコート要らずの陽気で、西日を正面に受けながら三条大橋を渡って、西詰めにある弥次さん喜多さんの像を眺めた。像の後ろ、橋下の河原では若者が音楽を楽しんでいた。三条河原と言えばかつては処刑地で、晒し首などが行われた歴史を持つ場所でもある。東海道五十三次の西の起点(と言っていいのか?)となる三条大橋、その西詰めに二人が立っている。
駿府でも五本の指に入る資産家・板面屋の一人息子として生まれた弥次郎兵衛。骨を折らずに設けることばかり考えている、怠け者だ。遊蕩三昧の挙句に店を閉じることになる。家中の金目のものをかき集めて夜逃げ同様に江戸へ出た。共に連れて行ったのが鼻之助。元服させて名を北八と改めるが、なんとこちらはすさまじい好色漢として描かれる。
色気と食い気が先立ち、失敗ばかり。旅は娯楽となって、笑いを基調に、伊勢参りは二の次だという二人の珍道中、『東海道膝栗毛』。
お伊勢参りを果たしたあとは京都にもやってきた。大阪や四国にも足を伸ばしている。
どこへ繰り出そうかと算段しているのだろうか。江戸時代、京でどんな風景を見、どんな失敗をしたのか。二人の顔からなんとはなしに笑いが誘われる。
愉快な紀行文が書けないものかしら…。二人に手を合わせてきたわけではありません。