京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「十夜法要」 知恩寺にて

2015年11月01日 | 催しごと


古本まつりをのぞいてこようと出かけた先は浄土宗のお寺、左京区にある百万遍の知恩寺。秋は毎年ここの境内で開催される。

参道の左手奥の店から見て回ろうと決めた。ところが半分近くも見歩くと、あまり期待できそうにない、不思議とそう感じるものがある。気分が乗らないでいると、むしろ大堂から聞こえてきていた読経のほうが気になり始めた。大勢の僧侶によるものだ。何かお勤めでもあるのだろうかと大堂に近づいてみたところ、折しも午後から「十夜法要 秋の集い」が営まれるのを知った。
お参りしてこようと上がらせてもらうと、リハーサルのようでもあり、節回しの細かなところを確認し合う場面もあって、結局30分ほどそのまま様子を見せていただいた。

午後1時から、奈良の明日香の寺から来られたというご住職の法話に始まり、「十夜法要 秋の集い」は、聲明による古式法要、諷誦回向(ふじゅえこう・亡き人の追善)と続き、百万遍念珠繰りで終わった。見事な声量、抑揚、節回しのなんと美しいこと。心地良さの中で耳を傾け、無心に心委ねる…。どこか違う世界に引き込まれそう?…。聞かせてあげたい人がいろいろ浮かんでくる。

思いがけない機会に巡り会える幸せには、ただもう感謝。こうした喜びごとを幾度も重ねながら、身の内にささやかな力を灯し、長い道のりを生きていくのだろう。今週はいま一度、天台声明の公演を間近にする機会を得ている。南無阿弥陀仏、お念仏申さねば…。

「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」(法然上人御遺訓「一枚起請文」)



コメント (2)
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