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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「天上に咲く花」

2013年09月24日 | 今日も生かされて


酒井大阿闍梨は大正15年(1926年)、大阪に生まれた。
親は事業に失敗し、長じては多くの戦友を亡くし、商売に失敗して全財産を無くし、かけがえのない妻に自殺をされた。決して順調ではない人生だったが、人生には何があるかわからない。
比叡山を訪れたことがきっかけで行者になられた。なってみれば、これまでの過去は行者になるための準備だったと考えるようになったと言われるそうだ。人生に無駄はない。生きる意味があり、生かされている。「人生におちこぼれなし」。

どんな一日であっても、今日の自分は今日で終わり、明日はまた新しい自分。どこで断ち切られても、自分の一生だったといえる今日の一日でありたい。

「一生涯の計画を立てて進めばよい」 では、一生涯の計画とは何だろう。
人間は誰でもいつかは死ぬ。その命は限られており時間と共に命は擦り減っている。その命のある間の計画を立てるというのは、「希望を持つ」ということではないか、と。
もう駄目だと思うほかないような境遇にあっても、その先には光があるという希望。
目の前のはるかな道を進むしかないとき、意思と希望をもって、心の支えを感じながら進みたいものだ。大阿闍梨はその身をもって教えて下さっている。

何度も読んだ『ただ自然に』。 酒井雄哉大阿闍梨が亡くなられた。

        つきぬけて天上の紺曼殊沙華         山口誓子



コメント (10)
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