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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「妙好人」

2012年07月06日 | 催しごと
浄土真宗のお話を「聴聞」する人々の中で、特に篤信な人を讃えて、“妙好人”と名付けています。「妙にして好ましい人」“ミョウコウニン”です。鈴木大拙の英文による原稿が展示してありましたが、それには、
「Saich was a myokonin,“wonderfully good-man”,…」と、書き出されてありました。


妙好人の中から代表的な念仏者として、有福の善太郎・因幡の源左(げんざ)・石見の才市(さいち)という山陰の三妙好人、大和の清九郎、讃岐の松庄(しょうま)、六連島(むつれじま)のお軽(かる)、嘉久志の仲造の7名が選ばれて、「妙好人展」が企画されています。言葉は聞いてはいても実のところ良く知らなくて、行ってみることにしました。

無料でしたのに、立派な冊子を戴きました(写真)。因幡の源左の言行を冊子より抜粋、紹介します。
【父や我が子との死別を通して、死とは何か、親様(阿弥陀如来)とは何かと考え、求道し続けたが、いっこうにわからなかった。
30歳頃の夏、「ふいつと分からせて貰った」出来事が起こる。いつものように裏山で草刈りをし、牛の背の左右に1把ずつを担がせ、自らでは負いきれない3把目を牛に担がせようとした時、「お親さんのご縁はここかいな」と「ふいつと分からせて貰った」という。
人間には負いきれない罪業を阿弥陀如来がすでに背負ってくださっていた、その他力のご恩に気付かされたのだ。それ以後は、彼は、「おらにゃ苦があって苦がないのだけのう」と、多くの苦しいことも悲しいことも「ようこそ、ようこそ」と味わう信仰生活の中で、たくさんの人々にお念仏の喜びを伝えていった。】と、あります。宗教哲学者、柳宗悦によって彼のこうした言行は世に広められたわけです。

矛先の勢いが激しい人、穏和な人、思索にたけた人、自戒の念の強い人などタイプは様々にあっても、それぞれの深い宗教体験から生み出された「いのち」を生きた人たちを言うようです。現代では金子みすヾ、中村久子、東井義雄らが挙げられていました。

何かを学べればよいのですが…。何かに誰かに守ってもらえていると感じることはできても「信じる」という言葉が使えず、ともすると息がつまりそうに。「はづかし はづかし わが心」です。

    原石のごとく、
    比べようのない輝きを有すあらゆるいのち。
    それらのいのちは相互に照らしあって、
    自己を知り、より深い輝きを放つ。
「パドマの願い」と書かれた掲示物に書き添えてあった言葉です。パドマとは紅蓮華のことでしょうか。
コメント (10)
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