京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 父逝って18年 

2010年10月22日 | 日々の暮らしの中で
会社から帰宅した父の顔に気難しさを見つけた晩は、「触らぬ神に…」で、6人家族でありながら口数少ない夕食のテーブルを囲んでいたのを思い出す。

13代目となる父は、残るものを整理して家の歴史をまとめることを生涯の務めとでも思いこんでいるような人だった。
お正月には6代目太兵衛さんの掛け軸を飾り、お飾りもする。父のあとに付いて、神棚から仏壇、太兵衛さんと順に手を合わていくのだ。小6の夏、父の言うままに書くだけの「〇〇家の歴史」を自由研究とした。

時代が変わりつつあるのを感じていたかも知れない。
「今はもう家・家と言う時代じゃない」とからかわれながら、結局、道半ばで不帰の人となった。さぞや心残りだったろうと思っているが、からかった張本人の末弟とはあの世でその後どんな話になっているのやら~。細かなことをしてるから命を縮めたのだよ、と?

我が家の食器棚の上に鎮座していたラジオもいつしか姿を消し、テレビが主流になっていった。プロ野球中継の放送終了時刻が近づくと、自ら小型のラジオを取りにあがる父。アンテナを伸ばし選局して備えるのも、自分の横でとりわけ熱心に聞き入る娘との楽しみのためではなかったのか。
今はさび付いて聞く事もできないトランジスター・ラジオだが、手放せないままにある。

いつも、いつまでも「ちゃん」付けで呼んだが、それも最後は目の前に娘がいてもわからず、娘の名は「お寺の奥さん」になってしまった。

「もっと電話ぐらいしてくれてもいいのに」と記されたもの…。
母亡き後の2年間、私とのつながりを待った心のうちを思うとき、つらいものもあるな。
18年が経った。月命日に父を想って。
コメント (8)
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