京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 見えないものが見える…

2010年10月14日 | 日々の暮らしの中で
「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」だったか、兼好法師が言っていた。雲に隠れていても、雲の向こうに満月があると思って見るのが人の情趣だと…。

淡いほのかな明かりの中に、美しさややわらかさを見出していく日本古来の美に対する感覚。雨が降り、霞や雲、霧やもやをかけて隠す。雪で辺りを覆い尽くす。そんな季節の現象への好みも、鮮明さや強烈な光を避ける美意識の表れで、ひとつのエレガンスだと読んだこともあった。何となくそんなことを思いながら聞いていた京都文化論。テーマは「未完(省略)の美」

      長谷川等伯「松林図屏風」
          緑や茶色が見える?平地?山地?

例えば絵画において、わからない細部を隠してしまうことでミスを防ごうとする合理性。水墨画のモノクロの世界に、無限の色彩を想像する心。どちらも日本人の精神性だという。

         雪舟「天橋立図」
       
隠して想像する心、見えないものが見えるという精神は、日本文化の特色だと伺った。
現象の奥にあって表に現れていない、足りないところを推し量り補う。これぞ日本人の「余情・余韻の美」と説明された。

隠されているからいっそう興味がわくって事がある。
なるほど「よろづ事足らぬがよし」とはドンピシャリ。物足りない、その不自由さを楽しむとは、なんて魅力的な!?

わかったようなわからんような…、眠くなりかけた。楽しい余談も少なくて、テンション低めだったのではない? 何度も同じ話しをされるが、前に聞きました!とも言えない。
これって話した?と聞かれたが…。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする