
丹波橋まで行く用事ができてしまった。小雨が降っている。
先に座っていた学生らしき男性、全く顔を上げることなく30分以上は本を読んでいた。そのきれいな顔立ちに見入っていた私。やがて、読書は中止、イヤホンを取り出した…。
隣のおじいちゃん、週刊誌を広げていたのですが、気付くと小声が聞こえてきます。4コマ漫画を読んでいる。覗いてしまう。
アメリカに端を発したこの金融危機、「将軍様、我が国とは全く関係ないことですね」「国民は皆貧乏なままですから」…。
わずかな隙間に入り込んできたのはおじさま。いくら傍がいいたってそんなにべったり狭すぎでしょう!
もう嫌だなあ…
体制を整えると、数センチはあろうかという分厚い本を開き、ラインを引いている。3段組みだったか細かな文字が連なる本、2駅程で降りて行った。どういう方でしょう。
地下鉄では目のやり場も少なく、それとなく“観察”です。
やがて電車は地上に出ます。
かすかに色づき出している木々。家並みのあいまに、わずかな季節の移ろいを感じ取りながら、ぼんやりと考え事をして電車内での時間を過ごします。贅沢でちょっぴり高尚な時間だと思っているのです。
ぼーっとしていて、受け身ではない時間。
心の中を洗いながら?考えたり感じたりして「自分」でいられる時間です。
「一時間きっかり」計ったように欠かさずジョギングに出る家人。
走りながら風景を楽しみ、街角の変貌に気付き、「走る」という時間の中で自分と付き合い、ちょっとした構想を練ることもあるそうな。
耳を傾ければ聞こえる声もあるのです。虫の音、鳥のさえずり、風のささやき、転がる落ち葉の笑い声…。
黙々と歩きながら、「自分」でいる時間を豊かなものにしていけたら…、ぼんやりもいいものです。
実は、あの揺れで心地よい眠りに落ちることは多いのです。
(写真は先日見つけた梶の木)