高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、徳弘董斎(とくひろ とうさい)邸跡を訪ねました。
高知市中須賀町の「中須賀公園」の中にありました。
現、中須賀公園がその敷地跡。
龍馬は、1853年 江戸滞在中に佐久間象山から砲術を学んでいるが、その6年後にはこの徳弘薫斎からもオランダ式砲術を学んでいる。
彼の弟子の中には、龍馬の兄権平や、岡田以蔵、武市半平太らがいる。
徳弘董斎は絵も嗜み、武市は彼から絵も習っている。
徳弘董斎 とくひろ‐とうさい
1807‐1881
江戸後期-明治時代の砲術家、画家。
文化4年8月15日生まれ。土佐高知藩士徳弘石門の長男。江戸で下曾根金三郎に洋式砲術を、広瀬台山(たいざん)らに文人画をまなぶ。帰郷後は砲術をやめ、画で一家をたて、橋本小霞(しょうか)とならび称された。明治14年5月25日死去。75歳。名は益、益孝。通称は祥吉、孝蔵。別号に石埭。
南国土佐へ来てみいや: 徳弘董斎邸跡 - 龍馬の高嶋流砲術の師匠
碑の説明文にもあるように、土佐に高嶋秋帆の高嶋流砲術を伝えた、オランダ式砲術家じゃったがでして、現在跡地は「中須賀公園」になっちょります。
門下生には、坂本龍馬や兄・坂本権平、それに岡田以蔵の名も連ねちょったがです。
また、画家としても有名じゃったそうで、武市瑞山も教えを受けちょります。
HN:史跡探訪者
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