2019.5.4
◾️山城国分寺跡(恭仁宮跡)
京都府の南部、奈良県と接する木津川市。中心部を流れる木津川の北側の平野に、「恭仁京(くにきょう)」という都が、8世紀の中頃(奈良時代)に数年だけ置かれた。その中心部の恭仁宮(くにのみや)の建物跡が、山城の国分寺に再利用されたという。
〈七重塔跡〉
心礎。長径は2mを超える。
説明板
〈金堂跡(恭仁宮大極殿跡)〉
塔跡の西側、恭仁小学校の敷地の北に、恭仁京の大極殿跡を利用して設けられたという金堂跡
礎石
当時のものかわからないが、何かの石。
敷地の北西部の境界石
南西部の境界
英文の説明板
〈恭仁宮の内裏跡〉
金堂跡から北に数分歩いたところに、天皇の居住区である内裏跡
〈くにのみや学習館〉
遺跡の東側に、市の「文化財整理保管センター分室(愛称 くにのみや学習館)」があり、瓦・土器等の発掘物が展示されている。恭仁宮発掘時の説明ビデオ(約10分)も視聴可能。遺跡の説明パンフなども置いてある。
七重塔の風鐸。
塔跡にある説明板
(京都府木津川市加茂町岡崎考28番地(くにのみや学習館の住所))
JR関西本線の加茂駅からタクシーかバスで約10分。バスの本数は少ない。
【★☆☆ 遺跡マニア向き】
〈参考〉
加茂駅にあった観光案内図。南が上になっているので要注意。
国分寺跡の南西部(この地図では上部)に「法花寺野」という尼寺を連想させる地名があり、「国分尼寺跡」の表示もある。実際には遺跡は未確認で、推定地扱いらしい。府道47号沿いに「参考地」の石碑が立っているらしいが、交通手段がなく訪問は断念。
◾️山城国分寺跡(恭仁宮跡)
京都府の南部、奈良県と接する木津川市。中心部を流れる木津川の北側の平野に、「恭仁京(くにきょう)」という都が、8世紀の中頃(奈良時代)に数年だけ置かれた。その中心部の恭仁宮(くにのみや)の建物跡が、山城の国分寺に再利用されたという。
〈七重塔跡〉
心礎。長径は2mを超える。
説明板
〈金堂跡(恭仁宮大極殿跡)〉
塔跡の西側、恭仁小学校の敷地の北に、恭仁京の大極殿跡を利用して設けられたという金堂跡
礎石
当時のものかわからないが、何かの石。
敷地の北西部の境界石
南西部の境界
英文の説明板
〈恭仁宮の内裏跡〉
金堂跡から北に数分歩いたところに、天皇の居住区である内裏跡
〈くにのみや学習館〉
遺跡の東側に、市の「文化財整理保管センター分室(愛称 くにのみや学習館)」があり、瓦・土器等の発掘物が展示されている。恭仁宮発掘時の説明ビデオ(約10分)も視聴可能。遺跡の説明パンフなども置いてある。
七重塔の風鐸。
塔跡にある説明板
(京都府木津川市加茂町岡崎考28番地(くにのみや学習館の住所))
JR関西本線の加茂駅からタクシーかバスで約10分。バスの本数は少ない。
【★☆☆ 遺跡マニア向き】
〈参考〉
加茂駅にあった観光案内図。南が上になっているので要注意。
国分寺跡の南西部(この地図では上部)に「法花寺野」という尼寺を連想させる地名があり、「国分尼寺跡」の表示もある。実際には遺跡は未確認で、推定地扱いらしい。府道47号沿いに「参考地」の石碑が立っているらしいが、交通手段がなく訪問は断念。