花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

みんなで楽しく講習で習ったり食べたり縫ったり染めたり・・・

2006年02月15日 | Weblog
2月14日(火)「家事力ボトムUP」の講習会本番でした。
私は午前中は託児当番でした。若いお母さん達に講習を受けてもらうために19人の幼児を預かり、遊んだり軽食を食べてもらったり。
 午後から講習に参加できました。
 パンやケーキ、根菜類や乾物を使っての料理講習、フェルトを使ったり古いセーターの生地を活用した手作りおもちゃ、ステンシルの講習がありました。
 写真はステンシルをしているところです。子供達も刷毛を持ってトントン。年配の人も孫の袋にするなどと言って、子供の描いたカブトムシの型紙をステンシルで作るなど、盛況でした。
 私も久しぶりに針を持って、セーター人形に入れてもらいました。生来の不器用で、手と足をうっかり間違ってつけそうになったり、置いてあったミシンの使い勝手がどうもつかめなかったりと手間取りましたが、帰宅後1体仕上げることができました。たとえ不細工でもわが子同様、自分の作品は可愛い。

掲載されてー感動するやわらかな心

2005年03月09日 | Weblog
 地元山陽新聞の投稿欄に取り上げていただき、うれしく思っていたら、
今日、そのお礼としてまたも商品券が送られてきました。
 以前は図書券で500円分だった事を思うと、今回は商品券で2,000円、
それが続けて2度なので、4,000円の臨時収入。
 たまたま書く材料があっただけの事、なかなかこうあっさりとは
掲載されないものだと思います。
 
 やはり、自分が感動したものでないと、記者さんの目に留まったり、
ひいては読者に感動してもらえるような投稿や記事にはならないものだ
と思います。
 私の場合、これまでそれくらいの感動するような素材には半年に1度くらい
しか出会わなかったと思っていましたが、考えてみると、そうではなく、
感動をするような素材を見つけられなかった自分の感性が鈍かっただけ
かもしれないと反省します。

 あの100歳を越えてお元気だった加藤シズエさん(加藤タキさんのお母さん)が、
高齢になっても「1日に10回感動すること」を目標においておられた、と聞くと、
いくつになっても心の柔らかさは保てるものだなあと思ったことでした。

落ちた!

2005年03月07日 | Weblog
 日曜日のお出かけも終えようとしていた時、いつも通る曲がり角、向こうから来る車にちょっと気を取られて、夫がハンドルを切りそこない、「ドスン」というショックとともに、左後輪を深い溝に落としました。
 助手席の私、ドアを開けるとそこは深い溝。幸い、すぐそばに足場になる石があったので、そちらから出られました。
 家に近かったので、息子たちを呼び出して見たものの、人力では到底上げられず、息子にJAFへの連絡を頼みました。
 30分ほどたって、あのJAFの人がやってきて、てきぱきとジャッキをかませ、ワイヤーをかけて、「お断りしておきますが、無傷で引っ張り上げる事は無理かもしれませんよ」というので、それでなくてもあちこち擦り傷だらけの夫の車、背に腹変えられませんもの、上げてくださいとお願い。
 私は最初、ものめずらしくてついつい写真などとっていましたが、知らずにやってくる車も多いので、その後は交通整理のため、道の手前に立って横道へそれるようにと誘導係を務めました。

 ほどなく車は上がり、JAFの車に続いてやってきた夫の車に拾ってもらい、無事家に着きました。
料金は会員でなかったので1万円ほど。あーあ、でした。
 それにしても、てきぱきと引き上げてくださったJAFの人、とってもかっこよかったです。

兄弟っていいな

2005年03月06日 | Weblog
 今夜は、息子2人と夫が、長男が持っていたマージャンのセットで、たぶん我が家では初めての家族マージャンを2時間ほどでしたが、しました。
 私は少しくらいはわかるものの、とても彼らの打つスピードについていけそうもないので
観戦。息子たちは高校時代同じ部活だったので、部室で結構やっていたらしく、うまいものです。
こんな日が来るとは思ってもいなかったです。
 決して出来がいいとはいえない息子たちですが、やっぱり男の子2人、頼もしいなあ、と
思いました。

新聞社から電話

2005年03月04日 | Weblog
  2月22日付山陽新聞に掲載されたお礼が商品券で送られてきたばかりだと
言うのに、3日夕方だったか、新聞社の記者さんらしい男性から電話がありました。


 うっかり忘れるところでしたが、新聞社のホームページの投稿フォームから、
初めての小学校の同期会を催した経緯と、頼まれてホームページを作ったら
地元はもちろんの事、遠くに散らばった友達にも見てもらえて大変喜ばれた
という内容だったと思います。(実際に掲載されても、どこを直されたのだか、
メールと違って証拠が残ってない)

 記者さん、「初めての同窓会だったそうで・・」と聞いてくださるので、詳し
説明し、大分県や首都圏、遠くはニューヨーク在住の人も見てくださってよかったです、
というと、感心してくださったみたい。
近く掲載されるとのことでした。

うわー、このところ打率いいわー、と感激。
またもこれから毎日新聞をチェックしとかないと。

当選!お年玉くじ

2005年03月01日 | Weblog
 珍しく今年は年賀ハガキの当選番号を夫が調べてくれました。
たいてい切手シートが2,3枚当たるくらいがせいぜいなのに、今年は
切手シートも10枚くらい、それになんと、「地域の特産品小包」
というのが当たっていました。我が家にしては大ヒットです。

早速郵便局に行き、その特産品のカタログを見せてもらいました。
どれどれ、お魚の粕漬け、すき焼き肉、お米、お茶などなどの食品。
お米だと一番助かるけど、あまり「これ当たったのよ」と家族で感動を
分かち合う??場面が想像できないし、などなど考えて、「日本産うなぎ蒲焼」
にしました。
 来ました。4人家族に小さめのうなぎが3匹。・・・
でもいいの。切り分けて何とか4人のうな丼が出来ましたぁ。

というわけで、珍しく、お年玉からうな丼を頂いたのでした。

自分を育てる

2005年03月01日 | Weblog
 大人になったと感じたのは35歳頃の事だったと思います。その当時はすでに3人の子持ち、子育て奮闘中でした。少しは自分の判断で動けるようになったと感じたときには、もう中年の入り口でした。
 今は熟年の入り口にさしかかっていますが、果たしてこれまでに少しは人間としての成長をしてきたのだろうか、と思うと、どうもまだまだ未熟な甘ったれの人間だと認めざるを得ません。

 人間としての弱さから、どうしても困難に立ち向かう勇気が出ません。それはつまり困難があるのを知りながら団体の中の役を引き受けるとか、一見「損」な立場に身をおくのをためらう事です。ずるい自分を発見する事はとてもいやでつらい事です。
 もう少し自分が人として立派であってほしいと思うのですが、現実には、問題から逃げている自分の弱さ。まったく情けない、ふがいないと思いつつ、この先、やっぱり楽しい事を追及して生きるほうがストレスが少なくていいわ、と思います。

投稿が新聞に掲載

2005年02月23日 | Weblog
 2週間ほど前に新聞社から電話があり、投稿が掲載の予定になっていることを知らされていました。これまで予告なしに突然載るのが通例だったので、予告されるととても待ち通しく、毎日見ていました。その間に実家の母の投稿も載り、先を越されていました。
 で、やっと22日付け山陽新聞に出ました。
 夫が朝食のときにびっくりした様子で、「おい、出とるぞ」
 やったー、出たか、どれどれ。
 という感じで見ました。今回は元々が短かったので、削除もなく、ほぼ元どおりに掲載されていました。自分の感想が中心なので、面映い。
 子供に「大きくなったら何になる?」というインタビューコーナーをローカル局の番組で見ていたときの感想です。
 中の1人が「やさしい人」という異質の答えをしていたのが大変印象深く、心に残ったのです。
なるほど、と親の教えらしいので、その教育方針にも感心したり、またやさしい人とはどういう人なのかと思いをめぐらしたものです。
 私の答えは、自分の思いを抑え、相手の気持ちに寄り添える人、という結論。やさしい人が親であったら、幼児虐待もないでしょう。また、やさしい人に話を聞いてもらえたら、気持ちも癒されるでしょう。
 私もやさしい人になりたい。そういう内容でした。

昔の手紙

2005年02月19日 | Weblog
 実家の母から分厚い物が送られてきました。
 それは夜の合唱の練習から帰宅した時で、少々疲れ、また色々とすることもあったのですが、開くと、それは大学の寮にいた頃から新婚時代までの、私が親に送った手紙の束でした。

 んもう、こんなの向こうで捨ててくれたらよかったのにぃ、といったん思ったのでしたが、まあまあ、と開けて読み始めてみると・・・
 最初は、寮に入って、1年生の頃、初めての「合ハイ」、今は「合コン」というらしいですが、その準備の事でした。ウブだったわたし、向こうの幹事さんと場所の下見に行ったとき、偶然別の大学に行った同級生の女の子に見られたことをとても気にして、「そんな仲ではないのに、誤解されたらどうしよう」と心配していました。

 また、国文だったので大学祭の発表のために方言調査に行った時の様子を事細かに描写。また、二十歳の頃にカトリックの洗礼を受けたいと親に願う手紙。勤め先から同僚たちと丹後の伊根に遊びに行ったときの珍しい舟屋や漁協の様子を説明した手紙。
 読んでいるうちに、過去のけなげでまじめで親孝行?だった自分が見えて、大変懐かしく思い出されました。
 翌朝夫に言うと、「取っとけ」。でもなあ、有名作家などならともかく、そんなの自分以外に見てどうこういわれるものでなし・・・いずれ自分史でも作るときの資料にしましょうか。
 

新聞に同窓会の様子が掲載される

2005年02月19日 | Weblog
 小学校を卒業以来、初めての同窓会(同期会)を昨年11月21日に開催しました。その様子を、地元山陽新聞の「集い」という人気コーナーに投稿してもらっていたのが、この2月18日付けにやっと掲載されました。。
 実家の母もそれを見て、なつかしい先生方の顔が見えてよかった、ということで、どれが誰だか、というので説明を携帯メールで送りました。
 きっと、お誘いしたものの都合で欠席した同級生や、前後数年の卒業生の方にも見ていただけたとこと思います。
 原稿には「ホームページも出来ました」と書いたそうなのに、掲載された記事は削られていました。
 昨年のお盆の休みを利用して仕上げ、私が作った初めての同窓会のためのホームページです。
http://aji36.hp.infoseek.co.jp/index.html
タイトルを単に同窓生のページとかではなく「しおかぜの町で」とつけました。
低学年のときの文集のタイトル「しおかぜ」にちなんだものです。
日本各地に散らばっている友達がこれを見て掲示板に書き込みくださったり、また同級生の兄弟の人からのお問い合わせなどもあって、大変うれしい反応でした。
新聞記事にそのURLが出ていてくれたら、もっと反応が広がったのになあ、ととても残念な気がします