花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

過去を清算?

2005年03月31日 | しみじみしたこと
 長男が10年暮らした大阪の生活をたたんで帰郷したので、荷物が大幅に増え、引越し以来死蔵していた段ボール箱を整理・処分することにしました。
 小屋裏の奥のほうにしまってあったものを出してみると、なんと、夫と私の大学時代のレポートやら卒論の資料、以前勤めていたところの資料や本など。思えば新婚のころにはまだ身近だったので、捨てるにしのびない存在だったのです。
 
 しかし、今となっては、もはや30年以上も昔のものとなって、これ以上とっておくほどの価値がないものが大部分。思い切って中の本やら書類を分類して紐で縛り、資源ごみに。段ボール箱6個分くらいがこれで処分できました。学生時代に無理して買った手作りのクラシックギターは、当時3万円くらいで、あこがれの「禁じられた遊び」がぼちぼち弾けました。でも、あとはお蔵入りだったので、リサイクルに出すことにしました。
 
 そんな中から「まだやっぱり捨てられない」と拾い上げたもののなかには、お宝がありました。
有名な女流詩人、永瀬清子さんから来たはがき1通と手紙2通。恩師が永瀬さんの経営するアパートに住んでいた関係で、当時何度かお会いしたことがあり、私の手紙に対する返事です。
 それから、学生時代にガリ版刷りで出した個人誌。「まだあったのか」とちょっと感動。青臭い文章が、読むと当時を思い出してぎゃふんという感じ。それに婚約時代に夫に送った手紙の束。これもちょっと怖い。
 それから、学生時代に他大学の団体と合同で歌ったヘンデルのメサイアの楽譜。
 それから、90点をもらったレポート。

これらを救い上げて、ほかはみんな捨てる決心がつきました。
死んだ後にごみの山を残さないように気をつけなければ、と思ったことです。  

腹具合が

2005年03月28日 | その他
 昨日、夫が嘔吐。私が作ったものが何か悪かったか?と思いましたが、家族の誰もそんなことはなく、会社で何を食べたか聞くと、ケーキが思い当たりました。
 手土産にいただいたケーキを食べたというのです。生クリームにサルモネラ菌でもくっついていたのかな?でも、一緒に食べた会社の人たち、だれもそんなことはないそうでした。
 それなのに、夫は今日一日下痢ピー。夜になっても収まらない様子です。老人ホームでよくあるというノロウイルス?
 駅周辺を半日歩いたのですが、苦虫を噛み潰したような顔で、調子悪いのなら家にいればよいものを、やっぱり外に出たがるのです。気分転換がしたかったのかな。
 にしても、相棒が調子悪いとやっぱりこっちも楽しくというわけに行かないですね。

高校野球を観戦して

2005年03月25日 | 感動したこと
 昨日の第三試合、岡山代表の関西高校と、神奈川代表の慶応高校。折からの冬に逆戻りした寒い日。風も、雨も。ピッチャーは手がかじかんで、雨にぬれて、思うように変化球も入らない。グラウンドはぬかるんでぐずぐず。
 そんな中、両校はよく戦ったと思います。もちろん私は岡山代表の関西高校の応援。途中から中継が、「愛・地球博」の開会式になったため、台所で夕食の仕込などをしながらFMラジオで聞きました。
 しかし、アナウンサーが、どことなく慶応びいきに聞こえて仕方ありません。大学の慶応といえば「陸の王者」だとか、大学と応援歌がいっしょだとか、大学からも応援団が応援に来ているとか。
 関西高校は、100年を越す伝統の男子校で、あの土光さんや体操の森末の母校。作家の石川達三も出ています。学校紹介では、体操部の練習風景が出ていましたけど。
 なにしろ慶応の知名度にはかないませんけど。
 雨の中の打撃戦、慶応のサヨナラ勝ちになったとき、アナウンサーは泣きそうなくらい興奮してしゃべっていました。
 こっちは・・・あんなに雨の中でがんばったのに・・・がっかり。でも、よくやった。
応援団も、よく寒い雨の中、がんばって。
慶応の応援団のすごさに負けずに。
 勝ってほしかった。

人もすなる孫の守りとやらいふもの

2005年03月23日 | お出かけ先
 娘がもうすぐ2歳になる孫を連れてやってきました。2月から仕事に復帰したら、洋服がいるようになったので、買い物についていって、ということでした。
 夫と私、お昼を一緒に食べ、三越へ行って娘が品物を見ている間に子守り。2歳前にしては悪いことは悪いとよくわかるし、言葉数も多いのが自慢ですが、それにしてもよく動くこと。洋服の下のほうにもぐりこんで、その向こうで品選びをしているほかのお客が連れている小学生くらいの女の子を見つけると、うれしそうに「オネエチャン」と見ていたり、年かさの店員さんがかわいいなという風に見ているので、「こんにちは、は?」というと、ペコリとお辞儀をして「コンニチハ」とご挨拶。なんとも愛らしいし、愛想もよい。
 そんな風で、しばらく洋服の森の中でお守りをしていました。
 
 抱き方が下手な夫に、「お尻を腕で支えて、背中を手のひらで支えて」と抱っこの指導をして、抱いてもらっていました。すると、様子を見に来た娘が「おとうさん、おならした?」すわ、異臭騒ぎか?・・・犯人は孫娘。お尻のにおいをかぐと、すごい。
 娘はあわてて駐車場におしめを取りに走りました。その間、夫が抱っこしていたのですが、圧迫したせいで、今度ははいていたズボンにウンチが押し出されて・・・
 トイレのおしめ替えコーナーでおしめを替えたのですが、ズボンにもしっかりついていたので、今度は子供服売り場に走り、代わりのズボンを購入。
 その間、私は紙おしめ姿の孫娘とトイレのおしめ替えコーナーで待っていたのでした。

 やれやれ。子連れで買い物するのは大変です。

出先で地震にあって

2005年03月22日 | お出かけ先
 3月20日(日)、たまたま私が、祖母に(岩国高女の卒業なので)、錦帯橋の話をたびたび聞いていたのを思い出し、行ってみたいというと、夫が、よし行こうと、すぐに行くことになりました。
 まさか行くとは思ってもいなかったもので、うれしくて、ウオーキングの格好で倉敷駅まで徒歩で、さらに在来線で岡山駅、そして新幹線ののぞみに乗りました。
 夫が、気がつくと私が普段着のままで新幹線に乗っているといって文句を言っていました。何も着飾って遊びに行くところでもなし、私は平気。
 で、広島駅から在来線の乗り方がわからず、聞いている最中、きました、地震です。
 下がっていた大きな時刻掲示板がゆさゆさとしばらくゆれ、気味が悪かったですが、あたりの人はそれほど騒ぎもせず、私だけ?取り乱していました。

 そして、何事もなかったかのように、在来線に乗っていったところ、宮島口の駅の手前で、「向こうに列車が止まっているのでしばらく信号待ちします」との意味のアナウンス。
 結局、その後宮島口でとまったので、宮島が目の前だったこともあり、途中下車したのです。
 
 出先で大地震があったとき、どこでどのような被害が出たのか、まったくわからないので困りました。
 もしこれが台風などだと、もっとこっちに向かってくるとかの情報がほしいことでしょう。
 出先にはポケットラジオなどが必携かもしれません。なお、携帯の充電を忘れていて、電池が乏しかったのも追い討ちをかけ、せっかくTVを見られる機能もついていたのに、見られませんでした。
 ほしいものは、情報、ですね。

 

墓参り

2005年03月19日 | お出かけ先
 お彼岸なので、おばあちゃん、長男と夫と一緒に墓参り。おばあちゃんは家から近い、おじいちゃんと甥の霊の眠る墓地だけにして、私たち三人は田舎の、江戸時代からのご先祖の20基ほどの墓のある墓地にも、高速道路利用しても片道1時間半かかっておまいりしてきました。
 一番揮い墓石はすっかり崩れ、五輪の塔も笠石の部分だけが残っていたりします。その一つの文字をよーく気をつけて読み取ると、「元禄十年」という文字が読み取れました。
 ご先祖様はこの地に400年ほど昔に住み着いたものと思われます。元禄の墓石は、加工もうまくできなかったのか、文字だけは刻んでいますが、ほとんど自然石です。これまで古いとは思っていましたが、元禄という文字を見つけたのは初めて。あと、文化何年、というのは他にもありますが。営々と途切れずにこの地に暮らしていたのですね。

お寿司が出来た

2005年03月12日 | なに食べた?
あれからお寿司に取り掛かったのでしたが、準備していたはずの材料のうち、なんと穴子を忘れていて、あわてて3時ごろ買ってきました。
それと今日の特記事項は、ご飯を土鍋で炊いた事。うちの電気釜は普段皆が少食なのでなんと独身者が持っているような3合炊き。お寿司のようなご飯ものには間に合わないのです。たまたま昼食をお雑炊にして土鍋が出ていたので、土鍋に5 カップの米と水をいれガスをつけ、ご飯炊きの表示のスイッチを入れたら、ガス釜と同じように火加減を自動的に変えてくれて、おいしいご飯が短時間で炊き上がったのにはびっくりしました。

お寿司を作るぞぉぉ

2005年03月12日 | なに食べた?
 このところ2日ほど、春の陽気だったもので、土曜日は以前おでんと思っていたのに、ついお寿司、と思い直して買出し。
 ところが、昨夜から北風がピープー。あーあ、おでんにするんだった、と思っても後の祭り。
お寿司というのは岡山寿司、または「バラ寿司」。具沢山、作るのに3時間くらいかかります。
さわらに塩をして甘酢に浸け、それを寿司の合わせ酢に使うというもの。
蕗とか木の芽とかが出る春のお寿司が最高なのです。しかし、今日の天候はどう考えても冬だわ。

 でも、ご飯を置いて、パソコン講座の慰労会兼メーリングリストのオフ会にお出かけするには、ちょっとしたご馳走でないと・・・「お前、勝手な事ばかりするな!」という
うちのご亭主の逆鱗に触れそうなので。

 いざ、これから取り掛かります。

講座のプリントを作る

2005年03月11日 | がんばっていること
 初心者に毛の生えた程度の私、講座用のプリントを自作していますが、「これでいいのか」「もっと別のやり方があるのか?」と思うこともたびたび。
 でも、その答えをあちこちから探すまもなく次の週になってしまい、これが自分では最善、と思うものでずっとやってきています。
 難しいことはわからないけど、私のやり方はこうよ、という感じ。
 同じくらいの年代なので、車でいうと、整備士みたいに構造はわからなくてもドライブを楽しんでいるドライバーの心境です。
 
 かなり危なっかしい講師でまことに申し訳ない限りですが、それでもシニアになってパソコンに出会って、楽しむことを覚えたという感動を伝えたい、と相変わらず奮闘しています。