花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

七五三

2006年11月13日 | 感動したこと
孫娘が着飾って、というよりも着飾らされて?やって来ました。
若い両親、つまりわが娘と婿もいつもは着ないスーツ姿。そうです。七五三。3月生まれなので3歳になってからにしたのですが、朝8時からの着付けとお宮参り、お宮では他の子はどうか知りませんが、足を広げてダラーッとしていたそうで、車で40分のわが家に見せにきた頃にはすっかり疲れてもう限界。
両親の間に挟まっての記念撮影もごらんの有様でした。
そしてさっさと脱ぎにかかりました。
この着物、私の祖母から娘へ、つまり祖母から言うとひ孫に贈られ、その後私の弟の2人の娘へと次々にリレーされ、今度はこの孫へつまり祖母から言えばやしゃごへと渡された物です。
向こうのお母さんも気を遣ってくださり、和裁の人へ上げをしてもらいに頼まれて、そしてお赤飯も和菓子屋さんに頼んで作ってもらって託されました。
着物があるばかりに余計な気遣いをしていただいて半分申し訳なく思いました。が、これも成長の記念。
元気にいい子に育ってくれてありがたいと思います。

はじめての買い物

2006年10月20日 | 感動したこと
 孫が来ました。ご近所に文房具屋さんがありますので、手を引いての散歩がてら、買い物に行きました。孫は3歳9ヶ月、以前から「ぶんぼうぐやさん」でおかいものしようね、と言っていたのに、土日が休みの店なのでなかなか実現していなかったのです。
 店内を探検、宝の山に分け入るような気分だったでしょう。親切なお店の奥さんがついていてくれて、ばら売りの色鉛筆が気に入って「何色がいい?」と聞かれると「パープル」(得意?の英語できたか)、「あかも」次には折り紙に興味があって、パンダの折り紙の写真がついている、ちょっと分厚い包装のほうのを選びました。合計3点で270円のお買い物。
 ちょうどあったので、100円玉2個と、50円玉1個、10円玉2個を渡し、まだわからないとは思うものの、おばさんに渡させました。
 奥さんはキティちゃんの絵がついた紙袋に入れてくれました。
 ショーケースに手をかけて背伸びして見ています。

 この後、家で折り紙で遊んでいたら、この紙袋に娘がティッシュを入れて丸めて捨てようとしました。すると、大切な袋だったので大泣き。
だってはじめてのお買い物の記念品だったのです。
娘は謝ってしわを伸ばして持ち帰る品物の中に入れました。
買い物のこと、思い出に残るのかな。自分のための初めてのお買い物でした。

岸恵子さんが語る女優岡田嘉子の生き方

2006年07月20日 | 感動したこと
大雨で庭仕事もできず、家計簿や手紙などのデスクワークのかたわら、NHKのテレビを見ていました。
 すると、「知るを楽しむ 人生の歩き方」という番組で、岸恵子さんが出演していました。
 離婚後、恋人とロシアに亡命したので有名な岡田嘉子さんの足跡を尋ねる番組に出演した話がとてもとても感動しました。
 最初のシベリアの収容所では、男性の棟が10、女性の棟が2、男性は政治犯だけでなく強盗だの凶悪犯もいて、岡田さんは、ロシア人のその時にいたという老人の語りによれば、「まるでクソの中に落ちた一粒の真珠」のようだったそうで、焚き火のそばでよく泣いていたそうです。
 その後、病院で見習い看護士をしていたと自叙伝にあった場所を尋ねてみて、実はそれはうそで、10年間監獄にいたことがわかるシーン。うそを書けば許してやるといわれて、監獄にいたことは描かなかったそうです。患者さん達から愛される看護士見習いではなくて、日本語の研究をしていて投獄された人と共に、投獄されていたというのです。このときの岡田嘉子さんは泣かなかったそうです。大好きだった恋人と共に逃避行をして自分は馬鹿だったといっていたそうです。
 そして、最後にはロシアの演劇学校に52歳で入り、卒業し、「女の一生」の演出と主演をしたそうです。
 死ぬ少し前の90歳を越した頃、人が訪ねてくると知ると、ベッドを壁際に寄せてもらい、寝て応対しなくてよいようにしてもらい、自分の顔を鑑で確かめ、女優としての威厳を保ったそうです。
 そのような岡田嘉子さんの人生を、美しくてインテリジェンスがあり、毅然と生きる岸恵子さんが語ることで、両方の生き方が胸に迫り、感動を覚えました。

今も、「若大将」加山雄三さん

2006年06月30日 | 感動したこと
たまたま、朝のテレビを見ていたら、加山雄三さんが出演していた。
もうすぐ古希だそうだけれど、若々しい。
昔、高校時代に音楽の部活をやっていて、そのころのみんなの「憧れの君」が、いきなりあの「君といつまでも」を歌い出したら、私だけ?知らなかったことになんとも悔しい思いがしたことを今でも思い出す。
それで、レコードを買ったかどうかは思い出せないけれど、急に歌番組などを見るようになった。
その頃、その人に選んでもらって、ウクレレを手に入れた。一生懸命練習して、いくつかのコードを弾けるようになり、「お嫁においで」や「アロハレイ」も弾いて歌っていた。
加山雄三さん、楽器も歌もできるし、船の操縦も設計も、そしてファンを招いての交流会ではお料理も振舞うなど、相変わらずタフで何でもこなしてすばらしい。
私の青春の一こまです。

俳句が新聞に掲載される

2006年05月11日 | 感動したこと
俳句が9日付山陽新聞の「岡山俳壇」に掲載されました。と言っても私ではなくて、夫の母のです。
お花見にと、玉野の深山公園を目指し、山道に掛かるところが大渋滞だったので、その手前の常山のふもとに行ってお弁当を食べたときのものです。
子供たちが桜の元でボール遊びに興じる風景、これを見て作った句でしょう。
空は黄砂で曇っていたのが残念ですが、やってきた子供たちが歓声を上げながら楽しそうに遊んでいました。
私の手作りだとよかったのですが、買って行った散らし寿司のお弁当でしかもお箸を入れてくれてなくてそばに落ちていた小枝を折って食べてくれたのでしたが、母は大変喜んでくれていたと、義妹から聞きました。

生き抜く知恵ーおばあちゃんと花見に行って

2006年04月10日 | 感動したこと
4月9日(日)、いつもお留守番ですが、自分で食事の支度もするし、生活に自立しているおばあちゃんをお花見に連れて行ってあげたときのことです。
 立派な枝ぶりに満開の桜の下で、さて、と寿司花館で買った散らし寿司を食べようとしたら、なんと、お箸がない!!
 夫は巻き寿司を選んでいたので手でも大丈夫でしたが、散らしなのに。。

 
すると、おばあちゃんはさっと近くに落ちていた小枝を拾って折って、お箸にして食べ始めたではありませんか。
 戦中の苦労を潜り抜けてきた人の強みか。。

 でも私は、不衛生というのが頭にあって、どうしても同じようにできなくて、帰途に立ち寄った農業公園の売店で割り箸をもらって、車内で食べながら帰ったのです。
 花見をとても喜んでくれ、おいしいおいしいと食べてくれたおばあちゃん。体が衰えるのを気に病んでいて、いつも散歩だの足を高く上げて歩くトレーニングだのをしています。こんなところにも、生き抜く知恵があったのかもしれません。

やっぱり春は桜ー尾道・千光寺公園

2006年04月09日 | 感動したこと
尾道に行ってきました。
この日はすごい強風、黄砂が舞い、せっかくの景色がかすんでいます。
この写真は下りのロープウエイから撮ったものです。
千光寺公園でお花見。買って行ったお弁当を食べました。
お花見でお弁当を食べるなんて、本当に何年ぶりのことだったでしょう。
以前倉敷の酒津公園に行ったことはありましたが、他人が食べて飲んでカラオケなどで騒いでいるのを横目に、歩いただけでした。

そして8日、千光寺公園には静かにお弁当を食べる人のグループばかりで、焼肉の匂いも騒音もなかったことに感銘を受けました。幼い子を連れた家族やら、若いカップルやら、お年寄りのグループやらの各年代層がいたことも他のときや場所と違うなと思いました。やっぱり日本のお花見はいいなあ、と心から思えた今日のお花見でした。

子供の発達は早いね

2006年03月20日 | 感動したこと
3週間ほど前にうちに来た孫娘、フォークしか使えなかったので、もうそろそろお箸も使えないと、と要らぬ心配をして、トレーニング用のリングの付いたお箸を生協で見つけて購入、待っていたらその後2週間ほど現れず、やっと3週間目に来たと思ったら、ちゃんと割り箸でうどんを食べるのを見せてくれました。
 なーんだ。1,000円もしたトレーニング用のお箸が無駄でした。
 それにしても、一つずつ着実に発達していく孫の様子、今度は何ができるようになっているんだか、楽しみです。

いつだって挑戦者

2006年03月14日 | 感動したこと
14日付け朝日新聞の芸能欄のきれいな女優さんの記事を見ていたら、感動的な言葉を拾いました。
 「ものすごく落ち込み、何も考えられなくなった私を、『人生あきらめていいの?チャレンジしなかったことを死ぬときに後悔しないように、今トライしなさい』と励ましてくれた」
と言う言葉の主はシャーリーズ・セロン。
 南アフリカ出身で、母は、暴力を振るう夫から娘を守るために射殺したそうな。母は強し。正当防衛が認められたそうです。そして渡米、19歳のときに膝を痛めてバレリーナになる夢を断念した彼女を俳優として奮い立たせたときの言葉が前述のものだそうです。
 美貌でスタイル抜群なのに、連続殺人犯を演じ、濃厚なメークと14キロの増量で別人になったとか、挑戦し続ける女優さんだそうで、母の励ましを胸に、しっかりと女優としてのチャレンジを続けているようです。
 わたしもあやかりたいです。

お茶の銘柄当てあそび「茶香服」(ちゃかぶき)

2006年03月05日 | 感動したこと
岡山の後楽園へ梅を見に行ってみたら、なにやら
「春の後楽園祭」というイベントをやっていて、入るとすぐの鶴鳴館という建物でお茶の銘柄当て遊び「茶香服(ちゃかぶき)」をするからいらっしゃいと言う着物姿の人の呼び込みにつられ、500円払って参加しました。
 27名のお客がお座敷に座ると、日本茶インストラクター協会員というお茶屋さんのご挨拶のあと、宇治茶の産地から来たという人が亭主となり、やり方の解説やら、歴史的背景やらの面白いお話をしながら皆さんを楽しませてくださいました。
 最初に「桜」と名づけたお煎茶を小さな湯のみに入れてもらい、色、茶葉の粉の具合、香り、味をしっかり覚えます。次に5杯注がれるお茶の中に2回その「桜」が含まれているので、それが何回目と何回目のお茶かを当てるという遊び。
 私と夫は真剣に味、色、お茶場の粉、香りをメモ、1番目と4番目だなあと、席次を書いていた桜の形の紙の裏に答えを書き、回収されました。
 集計され、見事2人とも正解。2回とも当てた人は27人中6人。この日の3回の開催中一番多かったのでは。
 帰りに賞品が出るというので、帰りかけると、カメラを構えた取材の人が、写真を撮らせてというので、私の周りの人は残って空っぽの湯飲みで飲んでいる演技を。そしてさらに私、感想を取材されました。産経新聞だそうでしたが、産経なんて回りにとっている人がいないの。残念。
 お土産と賞品のお茶葉をいただいて帰りました。
 最初の目的の梅林はまだ満開には日にちがあるようでしたが、紅梅も白梅もきれいでした。