花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

投稿が新聞に掲載

2005年02月23日 | Weblog
 2週間ほど前に新聞社から電話があり、投稿が掲載の予定になっていることを知らされていました。これまで予告なしに突然載るのが通例だったので、予告されるととても待ち通しく、毎日見ていました。その間に実家の母の投稿も載り、先を越されていました。
 で、やっと22日付け山陽新聞に出ました。
 夫が朝食のときにびっくりした様子で、「おい、出とるぞ」
 やったー、出たか、どれどれ。
 という感じで見ました。今回は元々が短かったので、削除もなく、ほぼ元どおりに掲載されていました。自分の感想が中心なので、面映い。
 子供に「大きくなったら何になる?」というインタビューコーナーをローカル局の番組で見ていたときの感想です。
 中の1人が「やさしい人」という異質の答えをしていたのが大変印象深く、心に残ったのです。
なるほど、と親の教えらしいので、その教育方針にも感心したり、またやさしい人とはどういう人なのかと思いをめぐらしたものです。
 私の答えは、自分の思いを抑え、相手の気持ちに寄り添える人、という結論。やさしい人が親であったら、幼児虐待もないでしょう。また、やさしい人に話を聞いてもらえたら、気持ちも癒されるでしょう。
 私もやさしい人になりたい。そういう内容でした。

昔の手紙

2005年02月19日 | Weblog
 実家の母から分厚い物が送られてきました。
 それは夜の合唱の練習から帰宅した時で、少々疲れ、また色々とすることもあったのですが、開くと、それは大学の寮にいた頃から新婚時代までの、私が親に送った手紙の束でした。

 んもう、こんなの向こうで捨ててくれたらよかったのにぃ、といったん思ったのでしたが、まあまあ、と開けて読み始めてみると・・・
 最初は、寮に入って、1年生の頃、初めての「合ハイ」、今は「合コン」というらしいですが、その準備の事でした。ウブだったわたし、向こうの幹事さんと場所の下見に行ったとき、偶然別の大学に行った同級生の女の子に見られたことをとても気にして、「そんな仲ではないのに、誤解されたらどうしよう」と心配していました。

 また、国文だったので大学祭の発表のために方言調査に行った時の様子を事細かに描写。また、二十歳の頃にカトリックの洗礼を受けたいと親に願う手紙。勤め先から同僚たちと丹後の伊根に遊びに行ったときの珍しい舟屋や漁協の様子を説明した手紙。
 読んでいるうちに、過去のけなげでまじめで親孝行?だった自分が見えて、大変懐かしく思い出されました。
 翌朝夫に言うと、「取っとけ」。でもなあ、有名作家などならともかく、そんなの自分以外に見てどうこういわれるものでなし・・・いずれ自分史でも作るときの資料にしましょうか。
 

新聞に同窓会の様子が掲載される

2005年02月19日 | Weblog
 小学校を卒業以来、初めての同窓会(同期会)を昨年11月21日に開催しました。その様子を、地元山陽新聞の「集い」という人気コーナーに投稿してもらっていたのが、この2月18日付けにやっと掲載されました。。
 実家の母もそれを見て、なつかしい先生方の顔が見えてよかった、ということで、どれが誰だか、というので説明を携帯メールで送りました。
 きっと、お誘いしたものの都合で欠席した同級生や、前後数年の卒業生の方にも見ていただけたとこと思います。
 原稿には「ホームページも出来ました」と書いたそうなのに、掲載された記事は削られていました。
 昨年のお盆の休みを利用して仕上げ、私が作った初めての同窓会のためのホームページです。
http://aji36.hp.infoseek.co.jp/index.html
タイトルを単に同窓生のページとかではなく「しおかぜの町で」とつけました。
低学年のときの文集のタイトル「しおかぜ」にちなんだものです。
日本各地に散らばっている友達がこれを見て掲示板に書き込みくださったり、また同級生の兄弟の人からのお問い合わせなどもあって、大変うれしい反応でした。
新聞記事にそのURLが出ていてくれたら、もっと反応が広がったのになあ、ととても残念な気がします

息子二人

2005年02月17日 | Weblog
 先日、家を出て大阪に10年いた息子が帰郷したので、二人の息子が2階に住むことになりました。
 したがって当たり前のことながら、食事の世話やら、洗濯物やら、光熱費やら電話代やらがその分かさみます。向こうの家賃などがいらなくなった分はもちろん浮くわけなので、文句は言えないですが、微妙にわずらわしさが増えました。
 しかし、この帰郷した長男、私が作ったものは文句も言わずに全部食べてくれるのがうれしい。これまでいた次男は、魚のおかずだと察すると、さっさとコンビニで好きなお弁当を買ってきて2階で食べ、親の作っておいた食事など無視。まったく嘆かわしい限りだったのです。
 性格の違いがこんなところにも現れているのか、長男は自活してきたので修行ができているのかわかりませんが。
 次男は黙って自分流を貫き、自立していますが、長男は親のすねを10年かじりっぱなし。
 比べてどうこうというわけではないですが、いいところも悪いところも含めてどちらも私の育てた息子です。
 いいお嫁さんが来てほしいと思うこのごろです。

母の投稿が掲載される

2005年02月16日 | 最近のニュースから
 地元の山陽新聞の家庭欄「泉」に、実家の母の投稿が掲載されました。
 杉花粉症にちなんで、昔のことを思い出していました。
 小学校の通学路は、笹が生える土手道で、1時間ほどもかけて通学していた事、学校には2mくらいの高さの杉の生垣があり、たくさんの実をつけていて、男の子は通学路の篠竹をナイフで切っては杉鉄砲子を作り、杉の実を詰めて、よく自分が標的にされていた、という思い出話でした。
 
 それを、同居の夫の母に見せて話をしました。昔の子はナイフを上手に使って鉛筆も削ったし、篠竹で鉄砲やら細工物を上手に作ったものだね、今は、ナイフを持たせると危ないし、自分の手を怪我するどころではなく、昨日などは包丁で教師を刺すなどという事件もあったばかりで、怖いねという話になりました。
 
 学校自体安住の地でなくなったという恐ろしい事態、本当に悲しい事だと思います。
ナイフを使って道具を作るという楽しい作業も、出来ない子ども達、かわいそうです。

息子とドライブ

2005年02月09日 | なに食べた?
午前中、珍しく長男の運転で、車屋さんまで行った帰り、「お昼どこで食べる?」という話しになり、日頃仕事で外食ばかりの次男が、「あそこはうまいし安い!」と何度も行ったという「天壱」という天ぷら屋さんへ。
かき揚げ定食380円から。私はてんぶら定食、長男は上天丼、どちらも680円。確かによかったです。

放蕩息子

2005年02月08日 | その他
 聖書に放蕩息子のたとえがあるが、うちの長男も夢を追って都会へ出て行って10年、ある程度までは行ったものの、最後までというわけに行かずに、夢破れて今日帰ってきます。
 その道の学校へ行き、仲間と夢の実現を目指して、一生懸命、なれない営業も出張もこなして寝る間も惜しんで働いた結果が・・・
 世の中、そういうことを夢見ながらも一歩を踏み出せずに稼ぐほうに回る人も多い中、中途になったとはいえ、一度はつかみかけた夢。だから撤退してくるとは言っても、うなだれないで、その経験を生かして、新たな道を探してほしい、と願っています。
 これまではとにかく援助につぐ援助で親のすねは細り、父親も大病を抱えているので、自活の道を一刻も早く見つけてほしいと思います。
 

お昼はオムライス

2005年02月07日 | なに食べた?
珍しく、代休というので次男が家にいます。これが娘だと、そこら辺の残り物でいいよと言うことになるのですが、うるさ型の次男は・・・ご飯と残り物のおでんと大根の浅漬けにしようと思っていたら、「オムライス、ご飯が炊けたら」!
まあ、日曜日も彼を放りだして外出することも多いので、こんな時くらい、と冷凍庫から鶏肉の切れ端を解凍、玉葱、人参も食べさそうとみじん切り。
チキンライスを卵1.5個で包んで出来上がり。
うまくくるりと包めて完成。
・・・ところが、次男は呼んでも来ない。大分経ってから急いでお皿とスブ-ンを持ち自室へ行ってしまいました。
がっくり。でもまあ、レトルトや外食でない物を食べさせられただけでもいいか。・・・と、日頃仕事で早朝から夜遅くまで仕事している彼には甘くなってしまう。

今夜はおでん

2005年02月05日 | なに食べた?
朝から煮たおでん。実は実家では食べた記憶がない。結婚してから姑が、アルマイトの大鍋一杯に作ったのをみんなでつつくのを教えてくれたのです。婚家は街中で都市ガスの卓上コンロ。そういえば実家は真ん中の8畳が居間兼食堂兼親の寝室、畳に座る食卓で、ただ一つの鍋料理といえば、練炭火鉢でするすき焼きだったのでした。
卓上コンロでは焼肉や水炊きも初めて食べさせてもらいました。実家が貧しいとは思わなかったけれど、鍋を囲む幸せ、少しだけですが昔が残念におもえます。