花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

今年の桜はよい桜

2009年04月11日 | しみじみしたこと
今年(2009年)の桜ほど長く楽しめた桜は近年に思い当たらない。
咲き始めから終わりまで2週間くらい楽しめたのではないだろうか。
私達夫婦が沖縄・西表島の旅行に出たのが3月29日(日)、帰宅してからもずっと咲いていたし、この4月10日に散り始めていた。我が家の横の用水は、桜の名所酒津から流れてくるので、この時期は白い花びらが一面。本当に名残の美しさである。

誕生日

2008年11月19日 | しみじみしたこと
私の誕生日。買い物に行ったら、前日の代引き6,000円を払ったのをすっかり忘れていて、あるはずの1万円札がない!!(恥)
仕方なく買い物のかごからストックのために買った品などを返品。

献立は友の会で習った赤飯、茶碗蒸し、千切りの大根、パプリカ、きゅうりの胡麻酢和え、ぶり大根、お刺身でした。
おばあちゃんは前日に誕生日を迎えた夫の年を聞き、「息子がそんな年になったんじゃ、私がぼけるのも当たり前だわ」。おばあちゃんは88才です。

子供と向き合う

2006年10月03日 | しみじみしたこと
 10月例会で、10人の幼児を7人の大人で預かりました。午前9時半から11時50分まで。下は1歳半からと言う約束なので、今回は2歳児から5歳児まで。元気な男の子もいれば、預かるほうの若いお母さんの抱えている赤ちゃんもいました。
 たまたま私が抱き上げた泣いている小さな女の子は2歳でした。先輩会員によると、「あー、この子はこの前最初から最後までなきっぱなしだったわ」(わー、大変な子を抱っこしてしまったかも・・・)しばらく壁のすごろくの掲示で気を紛らしていたのに、泣き出すともう大変。泣き止みません。
 すると、託児リーダーが、「あなた、帽子持ってる?外を一回りしていらっしゃい」!!・・・他人の帽子を抱っこして両手が使えない私の頭に載せてくれたので、仕方なく外へ出ました。

 幸い時候はよく、少し暑いくらいでしたが、車の通りも少なくて、少し歩くと柿がなっていたり、彼岸花やムクゲ、萩などの花々が咲いていました。
 そして10分くらい歩くと、児童公園がありました。その子はブランコをしたそうだったので乗せると、一人ゆらゆら揺れていました。ふと思い出して「ブランコ」「しゃぼんだま「ぞうさん」「おつかいありさん」などの童謡を歌ってやりました。昔母がしてくれたように。
 シーソーも対面して動かしてやりながらふと、「おうちの近くにもこんな公園があるの?」こっくり。「おねえちゃんと遊ぶの?」またこっくり。「お母さんに連れてってもらうのね。お友達もいるの?」こっくり。
「御母さんとはなれて悲しいの?」こっくり。「でもね、おかあさんもお勉強なんだから、あなたがいいこでいると迎えに来てくれるんだから」じーっとしていましたが、少し吹っ切れた様子。
 一周してまたもとの友の家の部屋に帰ると、なんと、今度はままごとで遊び始めたではありませんか。
 2歳児と言えども、お母さんが何も知らせずに離れていってしまうと、捨てられたみたいに思って泣くのだと思いました。子供なりに、親が「ちょっと行ってくるから、必ず迎えに来るから安心して遊んでいてね」とちょっと最初に声をかけてからお別れすることをずっと何度も繰り返ししていたら、きっとわかってくれるのではないかと思いました。

吉本隆明氏の考える現代の「老い」

2006年09月20日 | しみじみしたこと
先日の保育園の祖父母参観日のことから、年をとるということと、周囲から老人扱いされるということとのギャップについて少し考えていたところへ、今朝の朝日新聞大阪版27面に吉本隆明さんの聞き書きの記事が掲載されていました。
 吉本さんの記事の最後の「老人が直面する問題はやっぱり老人になるまでわからなかった。いい年をしていろいろな目にあって、ようやくそれが見えてきた」という一文が近頃の氏の心境を物語っています。

 少し前にも書きましたが、私は詩人永瀬清子さんのアパートの住人の恩師の所を良く訪ねていました。昔、岡山に講演があった時に永瀬清子さんの所を訪ねてきた吉本隆明氏は、永瀬さんに敬意を払って大変礼儀正しかったそうです。まだ壮年時代で、台風が近づいてきていたというのに、沙美海岸で海水浴を楽しんで帰ったと聞きます。でも寄る年波、記事によると、真正面に立っている1m離れた人の顔がよくわからないほどに糖尿性の「眼筋まひ」で、道もうかうか歩けないそうです。

 冒頭はこうです。「『老人』と一口に言っても、何十年もそれぞれの職業ごとに千差万別の人生を生きてきたのだから(中略)・・・ところが病院ではそうした配慮は一切なく、『年齢』というたった一つの基準で患者をくくってしまう。そしてその1つだけの基準に基づいて治療や介護やリハビリテーションが行なわれていく。(中略)老人のわがままだといわれてしまえばその通りかもしれない。だが、その画一性が一人ひとりの患者に及ばず、心身への絶望的なまでの影響というのは計り知れない。医療や治療の専門家が患者の個人差を本気になって考えないというのは致命的ではないか。
 (中略)
 「自分の気持ちは少しも鈍くなってはいない、それどころかある意味ではより繊細になって、相手の細かい言葉にいちいち打撃を受けているのに、そのことを表す体の動きは鈍くなっているという矛盾。そしてそれを理解されないジレンマ。その点に絶望している老人が多く存在するという現実を、医師や看護士、介護士はどの程度知っているのだろうか。・・・

 長いのと、後の部分は割りと難解なので割愛させていただきますが、吉本隆明氏といえばカリスマ文芸評論家ですが、氏も体の老化と少しも衰えないどころか繊細に研ぎ澄まされた心とのギャップに悩まされ、そしてお世話になっている医療関係者にそのことがなかなか理解されていないこと、画一的に扱われることに不満を持たれているようです。同じような理由で、画一的な老人クラブへの参加お誘いに納得いかない人が多いのでしょう。

誰がお墓を守るのか―お盆の行事に思う―

2006年08月14日 | しみじみしたこと
 次男の運転で、墓参り3箇所行ってきました。
舅と義兄の長男の眠る、家の近くの墓地にまず姑とともにお参り。
次に高速道路で1時間くらいかかるところの、元禄時代からのご先祖のお墓20基ほどがある墓地。こちらは1輪ずつの花をお供えしても20本。かなりの出費です。
最後に私の実家の墓地。こちらも元禄頃からの墓石がありました。
 墓参りをしていつも思うのは、子孫が絶えずに墓参りをしてくれるかしらと言う心配です。舅の長兄は子無しで無くなり、結局は我が家にお鉢が回ってきましたから、写真の墓地の管理もこちらに責任があります。
 実家は弟が跡継ぎで、その長男は県内の大学で安心していたら、就職は遠く遠く離れたところにしてしまい、そちらに彼女もできたとか。誰がこのお墓を守ってくれるのでしょう。
 ご先祖なんて若い頃は関係ないと思っていましたが、家風だのなんだのと関係ないところで、やっぱり死後に入るところは守らねば、と思うのですが、。

夏野菜もそろそろ終わり

2006年07月25日 | しみじみしたこと
私の庭先のわずか畳2枚分ほどの菜園も、そろそろ夏野菜が終わりになってきました。6月末からたった3本の苗なのにきゅうりが毎日5本くらいずつ取れてうれしい悲鳴。その日すぐにはとても食べられず、日付をつけて冷蔵し、サラダ、もろみをつけて食べたり、酢の物に漬物に・・・
 トマトは連作がたたって、接木の苗を買ったのに今年はさっぱりダメでした。
 まかないのにコンポスターのそばに落ちた種から生えたかぼちゃは思いのほか元気がよく、端っこのミニトマトの苗をのみこんでどんどん大きくなり、合計4個収穫できそう。これはまだ発展途上。楽しみです。
 トマトはもうだめみたいなので抜こうか、それとも夏の日差しで地面が焼けるのでしばらく置いておこうかと思案中。
 にしても、今年はまだ梅雨も明けないというのに、夏野菜が終わってしまって。

いずれこれから通る道―老いとの向き合い方は

2006年01月28日 | しみじみしたこと
 85歳のうちのおばあちゃん、年のせいで腸の動きが緩慢になったのか、痔病のせいか、最近特に便の調子がよくないらしい。
 今朝も私がおばあちゃんエリアの下水の枡に入り込み栓をしていた草花の根っこを掘り返したら小山のようになったので見てもらおうと、声をかけると、「それどころじゃあない」との返事。
 娘が来て、挨拶に行っても寝転んでいたそうでした。
 結局、午後3時過ぎまでうんうんうなったり坐薬を挿したりして努力したらしいのですが、「行くのはいやだけど、やっぱり医者に連れて行って」と頼まれて、送りました。車中で私が話しかけると「聞くだけでもしんどい」「もう生きているのがつらい」朝から何も食べてないとのこと。
 自立するからと、2世帯住宅なので自分のお台所で炊事も近頃は自分でしているおばあちゃんですが、この便通がうまくいかないことはとても困っています。
 歩けば出ると言うものだけでもなさそうです。やっぱり腹筋も腸も弱っているから、押し出す力自体がないのでしょうか。
 
 一昨年、あの聖路加看護大学の日野原重明先生の講演をおばあちゃんも一緒にお聞きしました。その時92歳だったか、それでもプロジェクターを使い説明されながら、講演の間立ちっぱなしで、もちろん内容もすばらしく論旨も通って、尊敬に値します。
 その日野原先生、年寄りの仕事は、若い人に老いとはこんなものだと身を持って伝えることだと以前におっしゃっておられたことを思い出します。自分の老い方、死に方を見せることが年寄りの務めだと。
 身近に年寄りがいると、そのお言葉を思い出します。

明日の花を咲かせるために

2006年01月26日 | しみじみしたこと
 庭に3mくらいの高さのムクゲの木があります。夏になると、芯まで真っ白な花をたくさん咲かせ、遠くから見ると綿菓子みたいな感じになり、最近ではご近所の人にほめられて気をよくしています。
 これは、前に住んでいた家にあった木の種から生えた子を、鉢にとってきて植えた実生の木で、少し幹が傾いているのですが、食事室の日よけと視線をさえぎるために早く大きくなってほしいと願っていたのが、やっとこの大きさになって役目を果たすようになってくれています。

 ムクゲはなんでもその年伸びた新しい枝に花をつけるのだそうです。そのため、毎年寒のころになると、私が脚立に上って剪定をしています。見よう見まねで、混んだ枝や内向きの枝を間引き、今年延びるはずの枝の長さを想像しながら、樋にかからないくらいの高さに切り詰めます。
 昨日も、3時間くらいかかってさっぱりと刈り込みました。

 心に重いことを持ちながらでしたが、剪定してさっぱりした枝振りを今日眺めながら、心の中もこのように時々刈り込んでさっぱりさせ、新たな花をつける明日を期待しよう、と決めました。

NHKドラマ「理想の生活」

2005年11月03日 | しみじみしたこと
 堺正章さん主演のドラマ「理想の生活」深夜枠で、コミカルに定年後の男性を主人公に、生活設計通りには問屋がおろさず、息子には去られ、思うように行かないというのが初回。でも、定年者同士のコミュニケーションが図られ、竜雷太さん扮するリーダー的な存在の人物を中心に「男の料理教室」も開かれ、連帯感が生まれてきている。
 そういえば、勤め人の男性諸氏は、ご近所周りとの付き合いもほとんどないままに定年を迎えているので、何も知らないというのが一般的だろうと思う。よほど面倒見のいい人が、子供会やご近所の役員をしているのかもしれないが、一般にはどこに誰が住んでいるのかすら知らないのが多いのではないだろうか。
 気の会う仲間を発見したときから、彼の定年ライフが始まった。憧れの彼女の存在も気になるし。
 奥さんは奥さんで、せっかく建てた二世帯住宅に息子が来ないと知ると、さっさと寝室を別にして、ダンスに打ち込んでいる。夫婦ライフも、夫に擦り寄られたって、妻にはすでに地域にも溶け込んで、彼女なりの世界が広がっているのだ。そのことすら世の夫族はあまり関心を払わずに来てしまっているのだ。
 ・・というようなことを、いまさらながらにコミカルなドラマを通じて確認したのだった。
 どこにもありそうな定年後の男性の悲哀やら仲間作りやら。楽しいドラマになることを期待している。

昔の「戦友」と同窓会で

2005年08月13日 | しみじみしたこと
 夫の小学校時代の同窓会があり、昼11時に会場近くまで送っていき、5時ごろ迎えに行きました。
 迎えに行くと、1人の友達と一緒に乗ってきて、その友達の兄のところまで送ってくれといいます。聞けばその友達とは浪人時代のライバルで、浪人して成績が上がったのはこの2人だけだと言われたことがあるという、因縁のある人でした。
お互いにこの人がいなければ、国立大学合格は難しかったのでしょう。
 
そのいわば「戦友」との再会、よかったです。
パンパンの太鼓腹と赤い顔で帰ってきた夫は満ち足りた顔でした。