花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

豆屋さん

2006年07月18日 | お出かけ先
倉敷美観地区を散策していて見つけた、新規開店のお店。倉敷考古館と旅館くらしきの間にあります。これまではただの倉で、入れなかったような気がしますが、今回行ってみると、なにやら小さな看板があり、お客が入っていたので、私も偵察に入ってみました。
 すると、豆菓子を色々売る店になっていました。豆も色々ありますが、甘納豆から塩味の揚げ菓子まで、味付けや調理法も様々な豆ずくし。かわいらしさと、昔なつかしさがない交ぜになった品揃え、値段も手ごろ、かさも、重さも、お土産に最適、と言うので結構よく売れていました。なるほどね。
 もしかしたらここもあの穴吹興産の資本が入っているのかしら?隣の旅館くらしきも後継者がいなかったことから、買い取って同じ屋号で経営を引き継いだと聞いているので。いずれにしても美観地区は倉敷の大切な観光資源ですから、にぎわうのはうれしいことです。

トンネルを抜けると海

2006年07月05日 | お出かけ先
週に1回、7時から始まる混声合唱の練習に出かけています。
このごろは夏至のすぐ後なので、明るくて、海岸沿いの場所なので、山のトンネルを抜けると、向こうに海が見えます。
 わー、海、と思うほどには、瀬戸内海はくっきりと青、と言うわけではなくグレーにかすんでいることのほうが多く、しかも向こうは交差点なので、電線だらけ、看板だらけの向こうにある海なのですが、それでも海が見えるとなんだかなつかしく、ワーッと開放感に浸ります。
 運転しながらなので、写真を撮るわけにも行かず、1度だけ夫の運転で通ったときには「ねえ、みて、そこ、向こうは海よ」と、トンネルを通るときにワクワクしながら言ったのに、「なんだ、こんな景色か」と、無感動に言われてムカッとしたくらいです。
 もともと小学生の頃から高校を卒業するまで住んでいた土地で、大学入学と同時に離れたところなので、思い入れがすごいのかもしれませんし、大してきれいな海でもないのですが、やっぱり海はいいなと思います。

素敵!岸 恵子さん

2006年01月25日 | お出かけ先
 1月24日、昼食後ふと新聞を見ると、「徹子の部屋」のゲストが岸恵子さん。わー、ぜひ見たい。急いで片づけその他家事を片付けて、テレビの前に。
 インターネットで調べてもなかなかご本人の画像にお目にかかれなかったので、テレビの画面にデジカメを構えて。
 徹子さんと年はどのくらい違うのかはわからないながら、そう違わないはず。1月4日に私がこのブログにも感動して書き込んだ、岡本健人さん(今日はちゃんと見ました)との素敵なフランスの旅の番組の話も出ました。そう、あの番組で彼女は築350年と言うパリの自宅アパートを紹介していました。セーヌ川の河畔近くの、2人が定員の違反で作ったというエレベーターのある建物。
 
 彼女は戦後すぐにイヴ・シャンピ監督の映画に出演して恋愛結婚し、プロペラ機の時代で50時間もかけて親も日本も捨ててパリに行ったそうです。そして着いたのが5月1日だったため、その後18年目で離婚することになったときも、家を出る日を5月1日に決めていたそうです。彼女にとっての独立記念日なのだそうです。
 祖国、親、夫からの独立。そして彼女は、娘さんが自立するまではとパリにとどまり、その後は1人でずっと生きてきたのでしょう。
 もう70歳は超えているはずなのに、この若々しい美貌と才気。
 私思うに「ケイコ」さんは松坂慶子さん、竹下景子さん、高橋恵子さんなどきれいな人が多いと思いますが、この恵子さんもそうでした。
 あやかりたいです。

山のお墓まいり

2005年08月15日 | お出かけ先
次男が、自分の車なら運転手をすると言うので、墓参りの運転手役をしてもらいました。
 以前は早朝出発の、お弁当もちで、墓参りが終わるとこの大きな柿の木の下でお弁当や冷やしたスイカなどを食べ、ピクニック気分でした。
 今は、高速道路経由で遅めに出ても大丈夫、お昼はこのふもとのドライブインで、とかなり楽になりました。
 お墓が20基ほど、普段は草が子供の背丈ほどにびっしりと生えていますので、この近所の人に管理費を払って草刈をお願いしています。すると、草も刈って燃やして、元の屋敷跡に生えている竹を切って花筒にして、墓地の中に生えているシキビを入れてくれています。
 おかげで私たちはすぐにお花や線香を手向けてすぐに墓参りができありがたいことです。しかし、このお墓、うちのおじいちゃんは三男だったため、おじいちゃんからは新しい墓地になっていて、長男夫婦には子供が無く、95歳の伯母が亡くなると入る人が絶えるのです。
 お墓の管理もなかなか大変。墓地と昔の屋敷の土地と、山と。相続税もかからないほどの山奥なので、利用価値はほとんどありません。こんな財産ともいえないような土地やお墓を受け継がせるのも心苦しいことではあります。

凱旋桜

2005年04月17日 | お出かけ先
岡山県新庄村の凱旋桜並木を見に行ってきました。テレビや新聞で報道されたのでさすがに人が多く、その人出を当て込んで露店が多数出ていました。地元の人も自家製漬物などを出して売っていました。そういういう意味でも人が集まっていいことだとおもいました。


いちご狩り

2005年04月10日 | お出かけ先
道沿いに大きな農園があり、初めていちご狩りを体験しました。1時間食べ放題と言われ、どんどん食べたら、たった15分くらいでお腹一杯!もういいわ、とでてきました。でもちぎって食べるの、幸せな気分でよかったです。

お花見

2005年04月10日 | お出かけ先
午後から雨との予報が外れたのがうれしい花曇りの日曜日。花見の名所を3カ所はしごしました。水島コンビナ-トを見下ろす種松山、高梁川そばの酒津公園、最後は備中国分寺。どこもすごい人出、いいお日和でよかったです。

人もすなる孫の守りとやらいふもの

2005年03月23日 | お出かけ先
 娘がもうすぐ2歳になる孫を連れてやってきました。2月から仕事に復帰したら、洋服がいるようになったので、買い物についていって、ということでした。
 夫と私、お昼を一緒に食べ、三越へ行って娘が品物を見ている間に子守り。2歳前にしては悪いことは悪いとよくわかるし、言葉数も多いのが自慢ですが、それにしてもよく動くこと。洋服の下のほうにもぐりこんで、その向こうで品選びをしているほかのお客が連れている小学生くらいの女の子を見つけると、うれしそうに「オネエチャン」と見ていたり、年かさの店員さんがかわいいなという風に見ているので、「こんにちは、は?」というと、ペコリとお辞儀をして「コンニチハ」とご挨拶。なんとも愛らしいし、愛想もよい。
 そんな風で、しばらく洋服の森の中でお守りをしていました。
 
 抱き方が下手な夫に、「お尻を腕で支えて、背中を手のひらで支えて」と抱っこの指導をして、抱いてもらっていました。すると、様子を見に来た娘が「おとうさん、おならした?」すわ、異臭騒ぎか?・・・犯人は孫娘。お尻のにおいをかぐと、すごい。
 娘はあわてて駐車場におしめを取りに走りました。その間、夫が抱っこしていたのですが、圧迫したせいで、今度ははいていたズボンにウンチが押し出されて・・・
 トイレのおしめ替えコーナーでおしめを替えたのですが、ズボンにもしっかりついていたので、今度は子供服売り場に走り、代わりのズボンを購入。
 その間、私は紙おしめ姿の孫娘とトイレのおしめ替えコーナーで待っていたのでした。

 やれやれ。子連れで買い物するのは大変です。

出先で地震にあって

2005年03月22日 | お出かけ先
 3月20日(日)、たまたま私が、祖母に(岩国高女の卒業なので)、錦帯橋の話をたびたび聞いていたのを思い出し、行ってみたいというと、夫が、よし行こうと、すぐに行くことになりました。
 まさか行くとは思ってもいなかったもので、うれしくて、ウオーキングの格好で倉敷駅まで徒歩で、さらに在来線で岡山駅、そして新幹線ののぞみに乗りました。
 夫が、気がつくと私が普段着のままで新幹線に乗っているといって文句を言っていました。何も着飾って遊びに行くところでもなし、私は平気。
 で、広島駅から在来線の乗り方がわからず、聞いている最中、きました、地震です。
 下がっていた大きな時刻掲示板がゆさゆさとしばらくゆれ、気味が悪かったですが、あたりの人はそれほど騒ぎもせず、私だけ?取り乱していました。

 そして、何事もなかったかのように、在来線に乗っていったところ、宮島口の駅の手前で、「向こうに列車が止まっているのでしばらく信号待ちします」との意味のアナウンス。
 結局、その後宮島口でとまったので、宮島が目の前だったこともあり、途中下車したのです。
 
 出先で大地震があったとき、どこでどのような被害が出たのか、まったくわからないので困りました。
 もしこれが台風などだと、もっとこっちに向かってくるとかの情報がほしいことでしょう。
 出先にはポケットラジオなどが必携かもしれません。なお、携帯の充電を忘れていて、電池が乏しかったのも追い討ちをかけ、せっかくTVを見られる機能もついていたのに、見られませんでした。
 ほしいものは、情報、ですね。

 

墓参り

2005年03月19日 | お出かけ先
 お彼岸なので、おばあちゃん、長男と夫と一緒に墓参り。おばあちゃんは家から近い、おじいちゃんと甥の霊の眠る墓地だけにして、私たち三人は田舎の、江戸時代からのご先祖の20基ほどの墓のある墓地にも、高速道路利用しても片道1時間半かかっておまいりしてきました。
 一番揮い墓石はすっかり崩れ、五輪の塔も笠石の部分だけが残っていたりします。その一つの文字をよーく気をつけて読み取ると、「元禄十年」という文字が読み取れました。
 ご先祖様はこの地に400年ほど昔に住み着いたものと思われます。元禄の墓石は、加工もうまくできなかったのか、文字だけは刻んでいますが、ほとんど自然石です。これまで古いとは思っていましたが、元禄という文字を見つけたのは初めて。あと、文化何年、というのは他にもありますが。営々と途切れずにこの地に暮らしていたのですね。