花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

息子に献立お知らせメール

2005年01月29日 | なに食べた?
 遅く帰る息子ですが、夫のために魚中心の低カロリーの献立にすると嫌がって、コンビ二弁当などを買って帰ることもあります。せっかく肉の献立にしていてもそんな事をすると悔しいので、このごろは献立内容を夕方メールする事が多くなりました。
 お疲れさま、気をつけて帰ってね、という言葉に添えて、その日の献立を書くんです。作る過程を写真に撮ったり、出来上がりを撮って送ったり。おなかがすいている時刻だから返ってかわいそうかもしれませんが、せっかく作ったのを無視されるのも悔しいので。
 これが新婚の奥さんからなんだともっと嬉しいのでしょうが。早く相手を見つけてほしいという願いもありますね。

未熟者

2005年01月27日 | 反省したこと
私は何でも見たい知りたいというやじ馬根性が強く、あげく周りのことを忘れて自分勝手に陥るのが欠点だと自覚しているのですが、今日も自分の興味のあるまま、周りへの配慮に欠ける発言をして迷惑をかけてしまいました。
「またやってしまった」と反省、恥ずかしさで一杯です。もうとっくにそんな事は体得していていい年なんですが。(*_*)

ブログが増えているって

2005年01月25日 | 最近のニュースから
朝のNHKのニュースで、ブログが増えていて、携帯からでも気軽に出先から更新できたり、また災害の時の情報交換などにも使えるなどの利用の広がりもあるそうです。
私も、パソコンを開かずに出来るブログの簡便さがすっかり気に入っています。
番組でも、これまでメール程度しか使ってなかった人も開設し、ご両親に孫の姿を見てもらっているそうです。
落とし穴は、気軽にプライバシーを公開してストーカー被害や喧嘩の原因となる事、とのことで、ネチケットの心配りは大切だなと感じました。
私のいるパソコン教室でもこのところブログを教えるクラスが増え、結構喜ばれているわけが改めてわかりました。

臘梅の花に教えられる

2005年01月24日 | 感動したこと
今日は朝から予定していた庭木の剪定と肥料やりをしました。
 高さ3mくらいのムクゲ、あとはつるバラが4本あるのを選定、それにバラは誘引作業。
ムクゲは脚立の上に上っての作業で、一度は降りがけに足を踏み外してテラスの上にゴロンとひっくり返りましたが、幸い後ろには肥料の袋があったため怪我なくすみました。
 遠めに見て綿菓子みたいな感じに仕上げるのと、混んだ枝の間引きと、軒の樋にかからないようにするのが目的。自己流で毎年この時期にやるので、だいぶ慣れて、形になって来たかな。
 つるバラはもう元肥をやるには1ヶ月くらい遅いのですが、年末にやりそこなったのですからしょうがない。牛糞がなくて代わりに鶏糞を4リットル、あとは課燐酸石灰やら油粕やらを本の指定どおりに300gずつ、40cmという指定ほどには深い穴は掘れませんでしたが、根の周りに施肥をしました。
 懸案事項がほぼ解決。
 そして一つ教えられました。ふと見上げる美しく咲いた蝋梅の枝、花がついてないのにヒューっと伸びた枝。木の姿から見ても、これらの花がついてない伸びすぎの枝は、今ならとてもよくわかります。花の咲いているすぐそばでこれらの徒長した枝を切りながら、花をつけるくらいの栄養が良くいきわたった部分までがその木の勢いがいいところかもしれないな、と、勝手に納得していました。園芸家の人に言わせると間違っているかもしれませんが、なにか木に教えられたような気がして、人間もむやみやたらに手を伸ばすことへの戒めかな、などと考えていました。

犬島にて

2005年01月23日 | お出かけ先
瀬戸内海の小島、犬島に来ています。ここへは岡山市の東南の宝伝から1日7便の「郵便船」が出ていて、私達は午後1時のに乗り、片道200円。しか-し。帰りの便はなんと5時までない! 臨時便を頼むと3000円だって!・(>_<)
しょうがないので船を下りる時、迎えの時刻を相談、3時半にして1周してきました。45分ほど余り、そこらをぶらついています。詳細はまたメルマガに書きます。

臘梅が咲いた

2005年01月23日 | しみじみしたこと
まだつぼみが多かった庭の臘梅が、昨日の陽気で開いていました。私達の結婚は2月10日だったので、生活を始めたころ咲いていた事を思いだします。
年中で一番寒い時期でしたが、春がすぐそこにあるのは確かに信じられるのがありがたいいまの季節です。


孫が来た

2005年01月19日 | しみじみしたこと
久しぶりに娘が孫を連れてやってきた。1歳9ヶ月になる孫は、来るたびに言葉が増え、童謡も色々歌える。向こうのお母様がお風呂に入れながら色んな歌を教えてくださるらしい。
先日はその祖父母が買い物に連れて出たら、好きなほうに歩きだし、どこまで行くかと後をついて行くと、ジュ-スのペットボトルを抱えたそうで、そのとき「ミツカッタ」と言ったのには大笑いしたそうです。
「イタダキマス」「ゴチソウサマ」もだいぶわかるように言えるようになり、どんどん進化しています。先日来たときに、壁の時計と腕時計を指して、「トケイ」と教えたら、今回はちゃんと私の腕時計を指して「トケイ」というのでびっくりでした。
 また、色の名前もだいぶ覚え、今日は丸、三角、四角などの形を教えてみましたが、形の概念はまだないようです。
 もちろん、そのような言葉を覚えるのが早いのがいいとか悪いとか言うのはあまり大きなことではなく、もっと大切なことはあると思います。
 
 ローカル局の夕方のコーナーで、幼稚園や保育園児に「大きくなったら何になる?」と聞くものがあります。
 多くの子が、「ケーキ屋さん」などと答える中で、「やさしい人」になりたいと答えた子がいたには感動して、いまだに忘れられません。
 やさしい、人に思いやりのある子に育つようにと常々親から言われているのかもしれません。本当に、とても大切なことだと思いました。

今日は、昔、私が娘のために編んだ白いカ-ディガンがあったので着せてみました。

なんとか復活

2005年01月19日 | しみじみしたこと
 メールの設定も、親切なメル友のアドバイスのおかげでやっとのことで完了し、無事メールができるようになりました。
 やっぱりメールが出来るのと出来ないのとでは、心細さがちがいます。
 受信トレイには55通だったかのメールがどっさりたまっていました。
 その中に、なんと高校時代以来音信不通だった、今はニューヨーク在住という友達からのメールもありました。壊れる前にこちらからメールしておいたものの返信でした。小学校の同窓会で消息がわかり、アドレスを教えてもらったのでした。
 嬉しかったです。
 しかし、このフォーマット騒ぎで失われたアドレスも多数あるので、そちらの人とは今後のお付き合いがどうなるのかが心配。
 ごくたまにしかメール交換しない人でも、アドレスを知っていれば安心感があります。人とのつながりは大切にしたいですから。

震災から10年

2005年01月17日 | 最近のニュースから
 その日の朝、寝ていると急にぐらぐらと揺れだし、隣の娘の部屋の、内側の階段に面した観音開きの窓枠がガタガタと大きな音を立て、ぞっとして目が覚めました。倉敷は震度4だったそうですが、震度3でもかなり怖いのに、私がこれまでに経験した中では大変怖かったのを思い出します。
 娘はちょうど連休で帰省していて、その日の朝早めに、西宮の大学の寮に戻るはずでした。もしも帰省していなければ、大変な目にあっていたことと思います。 
 しかしその後、寮を出る予定だった娘にとっては、木造アパートがつぶれたためにそういう住居を求める人が多く、探すのが大変だったようです。
 引越しを手伝うために出向いた私たちの目に入ったのは、壁に深い亀裂が入った建物、瓦礫の山を積んだトラック、通行止めの道路に立つ自衛官の姿、屋根にブルーのシートをかけた家々、いたるところにできた空き地などでした。
 あの神戸が、見かけの上ではかなりの復興を遂げていますが、失われた6,400余人の人命は帰ってきません。私の叔母も終の棲家と思っていた家が傾いたために、取り壊し、長男を頼って関東にと引っ越しました。
 このような大きな災害の前には人の力は本当に小さいものです。
でもでも、やっぱりそれでくじけてばかりいないで、気持ちだけで明るくいたいものですね。