花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

近所で事故?

2005年08月31日 | 興奮したこと
29日月曜日の夜9時半過ぎごろ、うちの近所の農業用水沿いの散髪屋さんの向かいあたりのT字路のところに救急車が行ったと思ったら、長い間パトカーらしいのが赤色燈をつけて止まっていました。
 うちの二階から見えるのですが、暗くて人までは見えなかったです。
たぶん歩行者か、無灯火で走っていた自転車でも引っ掛けられたのではないでしょうか。
 保育園の角の十字路には反射板をつけた交通整理の人がたっていたとおばあちゃんが教えてくれました。
 私はお風呂に入ってパジャマだったもので野次馬にいけなかったのですが、
あのあたり道は細いし暗いし、
歩く場合も車を運転する場合もありますから、気をつけないと、と思いました。
 翌日の夜、今度は合唱の練習で峠道を越えるとき、ちょうど山の上のところで、車同士の事故で、1台はもうトラックに乗せられていて、もう一台はへこんだまま道の外に置いてありました。現場検証中。帰宅ラッシュ時で、その峠道も私と反対方向が混む側で、どんどんその事故現場へと行くのにすれ違い、あー、あそこで閊えて渋滞するんだなー、と思いながら通過しました。
 曲がって、しかも高低差がある山道、スピードの出しすぎが原因と思われました。2日続きで事故を見て、気をつけなければと思いました。

全国で放送して欲しい、大原孫三郎氏の残した事業

2005年08月29日 | 感動したこと
NHKの「ふるさと発スペシャル」で、先日倉敷の町のために巨額な財産を投資した大原孫三郎の話がありました。
 案内人は、「石井のおとうさんありがとう」で、大原孫三郎役をした俳優の辰巳琢郎さんでした。辰巳さんは、それまでは一度倉敷に来て、大原美術館のすばらしい西洋名画の数々を見たことはあっても、大原さんのことは知らなかったそうです。
 孫三郎は紡績会社を始めた父の元に生まれ、閑谷学校で学んだあと、東京に出て放蕩の限りを尽くした後に、岡山で孤児院を始めた石井十次と出会い、そのキリスト教的福祉精神に裏打ちされた事業に深く感銘を受けて、生涯の友として資金を出資するのです。十次の孤児院は全国にも珍しく、最盛期には1,200人もの孤児たちを受け入れて印刷や理髪などの職業教育を施して世に送り出していました。
 孫三郎はさらに、紡績会社の社長として、当時は女工哀史の時代であったのに、住居を家族的な寮に建て替えたり、健康を守るようにと診療所を建て一流の医師を呼び、建物には立派な温室をこしらえるなど、また、劣悪な労働環境をよくするためにと、労働科学研究所をこしらえ、初代所長に暉峻さんを呼んで就任させる、また、画家の児島虎次郎の後ろ盾となってヨーロッパ留学もさせました。
 さらに虎次郎に請われて西洋絵画の購入資金を出すうちに、たくさんの絵を日本の画家の勉強のためにと購入、さらにその絵を常設展示するべく、美術館も建てました。モネの睡蓮、グレコの「受胎告知」、ピカソなど美術史的にも一流の絵が多数あります。
 現在、彼の始めたそれらのたくさんの事業のうちどれ一つもだめになったものはなく、現在も続いているのです。
 おかげで倉敷に住む私は、倉敷中央病院にも行けるし、大原美術館のある倉敷美観地区の散歩もできるし、またクラボウ社宅の跡地にできた市民会館や芸文館でのコンサートや催しに出かけることもできます。
 本当に、立派な人がいたおかげで、文化都市倉敷はできたのだなあと感動を覚えました。
 でも、この番組、岡山県内向けだったそうで、関東のメル友に教えてあげたら別番組だったそうで、がっかりでした。ぜひ全国区でも流して欲しい内容です。

大和のロケセットを見学して

2005年08月19日 | 興奮したこと
戦艦大和を題材にした「乗艦せよ! 男たちの大和 YAMATO
という映画のロケに使われた巨大オープンセットが公開されているというので、16日、尾道の向島まで出かけていきました。
 橋を渡ったらすぐ渋滞になり、日立造船向島工場の跡地?の敷地の臨時駐車場に車を止めて、シャトルバスを待つこと30分。暑かった。人が一杯だった。
 だけど、バスに乗って造船所の中を行き、オープンセットにたどり着くと、「これで半分の長さ?」と言うほどに、あの戦艦大和の一部分とは思えないほどの大迫力。
 甲板部分でのロケが主だったので、船橋の部分は人の高さくらいまでで、聳え立っていたと思われる部分はCGか。もちろん下のほうもない。
 船室の部分のセットは、ロケ隊が使ったと言う食堂の2階にあった。大鍋のある厨房のセットと、水兵さんの船室らしい2段ベッドやハンモックの部屋。
 ビデオ上映は、人垣の後ろのほうであまり見えなかったけれど、海軍の軍服姿の俳優さんたちの勇ましいこと。戦闘場面は結構な迫力だった。

 反町隆史やら中村獅童やらの俳優陣もなかなかよかったので、また映画を見てみたい。

山のお墓まいり

2005年08月15日 | お出かけ先
次男が、自分の車なら運転手をすると言うので、墓参りの運転手役をしてもらいました。
 以前は早朝出発の、お弁当もちで、墓参りが終わるとこの大きな柿の木の下でお弁当や冷やしたスイカなどを食べ、ピクニック気分でした。
 今は、高速道路経由で遅めに出ても大丈夫、お昼はこのふもとのドライブインで、とかなり楽になりました。
 お墓が20基ほど、普段は草が子供の背丈ほどにびっしりと生えていますので、この近所の人に管理費を払って草刈をお願いしています。すると、草も刈って燃やして、元の屋敷跡に生えている竹を切って花筒にして、墓地の中に生えているシキビを入れてくれています。
 おかげで私たちはすぐにお花や線香を手向けてすぐに墓参りができありがたいことです。しかし、このお墓、うちのおじいちゃんは三男だったため、おじいちゃんからは新しい墓地になっていて、長男夫婦には子供が無く、95歳の伯母が亡くなると入る人が絶えるのです。
 お墓の管理もなかなか大変。墓地と昔の屋敷の土地と、山と。相続税もかからないほどの山奥なので、利用価値はほとんどありません。こんな財産ともいえないような土地やお墓を受け継がせるのも心苦しいことではあります。

昔の「戦友」と同窓会で

2005年08月13日 | しみじみしたこと
 夫の小学校時代の同窓会があり、昼11時に会場近くまで送っていき、5時ごろ迎えに行きました。
 迎えに行くと、1人の友達と一緒に乗ってきて、その友達の兄のところまで送ってくれといいます。聞けばその友達とは浪人時代のライバルで、浪人して成績が上がったのはこの2人だけだと言われたことがあるという、因縁のある人でした。
お互いにこの人がいなければ、国立大学合格は難しかったのでしょう。
 
そのいわば「戦友」との再会、よかったです。
パンパンの太鼓腹と赤い顔で帰ってきた夫は満ち足りた顔でした。

まず方針を決めること

2005年08月10日 | 反省したこと
 パソコン教室のシニアの初心者クラスを受け持って、今度からはメールに入ります。半年前にも習った人、今期が初めてという人が混ざったので、一応送受信の基本から、と思って、これまで作ったプリントを再編集。
 しかしこれが一々面倒。最初にもっとカリキュラムと言うか、授業日程をかんがえておけばよかった、と、山の中のどうにもならない場h祖に差し掛かっては思う。