花だより

花のいのちは結構長い?
長くイキイキと咲きたい私の日常

詩人永瀬清子さんの自筆原稿

2006年08月25日 | その他
写真の原稿は、岡山県熊山町(現在は赤磐市)出身の女流詩人、永瀬清子さんの自筆の詩です。
彼女は、あの宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩が彼の遺品のトランク?から発見されたときに立ち会ったとか言う話も聞きました。
戦前15年ほどは東京に住んでいらしたようですが、その後故郷の熊山町に帰り、農業と4人の子供を育てる傍ら、詩を作り続けられたそうです。
私の知る永瀬さんは、恩師の住む小さなアパート「東雲荘」の大家さんのおばちゃん。おだやかでにこやかで、アパートにはお風呂がなく、恩師は大家さんの家のお風呂に入りに行っておられましたので、私も時々話す機会がありました。
結婚後恩師に自作のクッキーと、白い藤の枝を届けたら、珍しいからと庭に挿し木にされたと聞いたこともあります。
 そんな永瀬さんと数回の手紙のやり取りをしたことがあって、その時にいただいたものの一つが、この画像の写真です。
 岡山天満屋デパートで開催された「アウシュビッツ展」によせて、詩を提供され、その原稿が返されてきたはずなのに見つからないので、思い出しながら書きました、というものです。
 湯川英樹博士もそのメンバーの1人と聞く「世界連邦」を推進する人の1人であった永瀬さんは、平和への思いも強かったとおもいます。
 
もしもこれを「地獄だ」と云えるなら
  ―アウシュビッツ展によせてー     
              永瀬清子
もしもこれを「地獄だ」と云えるなら 
むしろどんなに気が楽だろう
でもこれは魔王や鬼のしわざではなく
人間が引きむしった人間
人間が噛み砕いた骨
人間が雑巾のようにしぼり出した人間の血

ぬぎすてられた半端な靴も
小さな欠けた食器も
いまだに生きて救いを待っている
そして電気のように訴えつづける
私たち人間の魂にむかって

ガラクタのように積まれた悪の記念を見て
心に戦慄と恥辱の斧が打ちこまれる
左に顔を背けては行きすぎられない
立ち止まってただ泣くことはできない。

殺されたものの飢餓は誰でもない私らのもの
アンネ・フランクの祈りは私らのもの
蚕棚(かいこだな)のようなベッドで
薪(たきぎ)のように死と折りかさなって――。


誰がお墓を守るのか―お盆の行事に思う―

2006年08月14日 | しみじみしたこと
 次男の運転で、墓参り3箇所行ってきました。
舅と義兄の長男の眠る、家の近くの墓地にまず姑とともにお参り。
次に高速道路で1時間くらいかかるところの、元禄時代からのご先祖のお墓20基ほどがある墓地。こちらは1輪ずつの花をお供えしても20本。かなりの出費です。
最後に私の実家の墓地。こちらも元禄頃からの墓石がありました。
 墓参りをしていつも思うのは、子孫が絶えずに墓参りをしてくれるかしらと言う心配です。舅の長兄は子無しで無くなり、結局は我が家にお鉢が回ってきましたから、写真の墓地の管理もこちらに責任があります。
 実家は弟が跡継ぎで、その長男は県内の大学で安心していたら、就職は遠く遠く離れたところにしてしまい、そちらに彼女もできたとか。誰がこのお墓を守ってくれるのでしょう。
 ご先祖なんて若い頃は関係ないと思っていましたが、家風だのなんだのと関係ないところで、やっぱり死後に入るところは守らねば、と思うのですが、。