水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

星宮社 <名古屋市南区本星崎町宮西>

2015-02-19 | ◆縁ある処(名古屋市)◆

 

お次は星宮社です。

 

 

 

 

 

住宅地に、こんもりと鎮守の森が見えてきました。

石神社からのんびり歩いて、ものの5分。

 

 

 

星宮社に到着です。

 

 

 

小さな神橋。太鼓橋くらいかな?

 

 

高台にある境内。

 

 

社殿はさらに高台に。

(摂社である 上・下知我麻社に至っては、さらにその上にあります)

 

 

拝殿

 

 

舞台みたいで面白い造りですが、
ここら一帯がかつて海であり、社が岬の先端にあったとされる由縁でしょうか。

 

 

 

大きな御神木。

 

 

 

御祭神:天津甕星神

 

創建は641年(or637年)

神紋は北斗七星で、剣先のついた円形状の北斗七星が灯篭に彫ってあるらしいのですが、
当日は残念ながら見つけられなかった・・

 

 

と思って、帰ってから写真の整理してたら、加具土社の写真にギリうつってた!!!!

なんだそんな所にいたのかー。・・不覚。

 

 

北斗七星といえば、わたくしごとですが

うなじ~腰にかけて、北斗七星のかたちにホクロが並んでいます。

なので勝手に親近感(笑)。

 

 

結構大き目のホクロなのに普段背中なんか見ないし、
背中全体がキャンバスと言う、かなりでっかい北斗七星なので、
数年前まで気付かなかったけれど。

 

 

 

スターはっけん

 

 

 

中央あたり、向こう側の木々が見えているのではなくて
ガラスに映る手前の緑。

なんかきれい。

 

 

本殿の左右には境内末社。

奥にあるのが、白山社琴比羅社天王社神明社合殿

 

 

手前に英霊社

 

 

本殿右には、加具土社軻遇突智社霊社

(左端に北斗七星が彫ってある灯籠)

 

 

ていうか、加具土社=軻遇突智社 ( → 秋葉社)・・だよね

 

 

摂社への参道にあった大きな石です。(近くで見ると、木が石灰化したようにも・・)

陰陽石かな?? 

 

 

快晴の青空が嬉しい一日。

 

 

そのぶん逆光になってしまうことも多い。

でもその影がまた趣きあって良いなあと思うのです。

(残念ながら腕がないので生かし切れてませんけど)

 

 

 

本殿を見下ろす高台にあるのが、境内摂社の上知我麻社(右)、下知我麻社(左)です。

 

 

御祭神は、

下知我麻社:伊奈突智翁命、真敷刀俾命

上知我麻社:大國主命、乎止与命

 

現在熱田神宮に祀られている上・下知我麻社は、かつてこの星宮社にあったそうですが、
この辺りはかつて乎止與命(上知我麻社祭神)の館があったと言われています。

そんな尾張氏つながりがとても嬉しい。

 

 

さて石神社のときもチラっと書いた隕石のおはなし。

 

 

この神社周辺には「星」がつく地名も多いのですが、由来はその隕石なのです。

 

 

かつて塩の一大産地だった星崎は、古来より星に縁があって、
日本書紀には隕石落下や流星雨などの記録がのこっています。

飛鳥時代に星が降り、それを祀るために創建された星宮社。

 

 

さらに、ここから南へ少しのところにある喚続神社には、かつて隕石が社宝として祀られていました。

(1632年に落下した隕石(南野隕石)は“星石”と呼ばれ、1829年に喚続神社へ寄贈された。

現在は国立科学博物館が所蔵とのこと。)

 

夜空に輝く星と、隕石の違いが分からなかったであろう昔の人の恐怖といったらないでしょうね・・。

星は常に空にあるはずのもので、こっちに来ることはない。

 

 

と思っていたら、さっきまで空にあったはずの星の一1コが、いきなり落ちてきた!!!

これぜったい神さま怒ってるよ!!!!!Σ(゜Д゜)

みたいな。

 

 

今ならロマンチックな流れ星や神秘的な隕石も、当時の人々にとってはまさに災いでしかなく、
畏怖するとともに丁重に丁重に祀りたくなるのも当然でしょう。

お気持ちお察しします・・。

 

境内もひろく、緑の多いすてきな神社でした。

夏なんて涼しいだろうなー。長居したくなる神社です。

 

 

心地よい空間をあとにして、お次は同じく南区の笠寺観音へ。

 

 

 

 


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