東三河、愛知県新城市へ。
新城は、数々の歴史の舞台となったところです。
まずは長篠城そばにある大通寺。
こちらは応永18年(1411)創建とのこと。
周囲の景観に溶け込んだ、とても美しいお寺です。
大通寺には、武田方の武将らが長篠・設楽原の決戦を前に
別れの水杯を交わしたと伝えられる盃井戸があります。
敗戦覚悟の、最後の盃。
どんな思いでこの泉の水を汲んだのでしょうか。
荏柄天神社
長篠・設楽原の戦いにおける武田軍の陣地跡に鎮座する荏柄天神社。
1698年に旗本一色氏が旧領の千葉県から移したもので、
参道の石段も、123段のうちの88段が千葉からここへ運ばれたのだとか。
123段の石段、一気に上るのはさすがにキツいね。
途中から数えるのやめました(´-ω-`)
息を切らしつつも、なんとか登りきりました。
平地を歩くなら何時間でも平気なのに、登るとなると途端にヘタる私。
山ガールにはなれない。
写真Upしながら思い出したんですが、
どうも私、階段途中でゴルゴ頭な男性とすれ違ってる。
でもうしろ姿のシルエットだったんで、もしかしたら坊主頭だったかもしれない。
こういうとき、リアルタイムで視ないで済むのは非常に助かるな。
( → あとで視える知人に聞いたら、やはりお坊さんでした。
ゴルゴとか言ってごめんなさい。)
上りも下りも一苦労・・。
膝にくる。膝に。
つづいて医王寺です。
祖母方が古くからこちらの檀家ということもあり、
ルーツ調べの際に何度かお世話になりました。
医王寺山砦(武田勝頼本陣趾)の物見櫓より、医王寺を臨む。
ここに来るには医王寺の裏山を登るわけですが、そのしんどさは、さっきの123段が可愛く思えるほど。
キツいなんてもんじゃない。
11月も半ばだというのに、滝汗です。
いえね、丸木も組んであるちょっとした山道なので、たぶん平気なひとは平気だと思うのよ。
単に私がヘタレなだけ。
駅の階段を一段抜かしとかで上ってく人をみると、心から尊敬する。
山門の脇にある弥陀ヶ池。
決戦の前夜、「池の葦の精霊」と名乗る白髪の老人が武田勝頼の枕元に現れ
明日の出撃を止めるよう忠告したところ、
老人は勝頼に斬りつけられて片手を切り落とされたという。
翌朝、この池の葦は、すべて片葉になっていたと伝わっています。
水面にうつる木々の色が美しい、趣のある池でした。