水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

橿原神宮-3

2018-11-07 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

橿原神宮その3。

 

 

 

 

 

 

南神門から進むと、左手に外拝殿が現れました。

 

 

参拝したのは去年だったので、酉の絵馬

高さ4.5メートルという、巨大な絵馬です。

 

 

昭和14年建造の外拝殿の両脇には長い廻廊が続き、
こちらも大変美しいです。

ここだけでもう十分荘厳なんですけど、

 

 

外拝殿越しに見る内拝殿が、これまた素晴らしい。

 

 

大好き。この光景。

この眺めだけでご飯3杯いける。

 

 

外拝殿入口から境内。

 

 

こちらは外拝殿の天井です。

 

 

思わず口あけて見上げてしまう。

きれいだなあ。

 

 

煌びやか過ぎないのが、またいいんだよね。

 

 

 

内拝殿

 

 

およそ970坪の外院斎庭の向こうにそびえる内拝殿の先に、
弊殿本殿(重文)が続いています。

 

 

内拝殿は、紀元祭などの重要な祭典に使用され、
特別参拝においては拝殿となりますが、
一般参拝客は、外拝殿から手を合わせる形となります。

 

 

チラっと見える、弊殿の千木・鰹木。

 

 

斜めから見たほうがわかりやすい。

手前から、内拝殿・弊殿・本殿。

 

 

 

御祭神:神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命

 

 

由緒によれば、
神武天皇は、天孫降臨の地、日向を発して大和に入られ、
国内統一ののちに畝傍山の東南、橿原の地に皇居を営み、
即位の礼を執り行い、日本建国の基礎を築かれたという。

 

 

橿原神宮創建に際しては、明治天皇の思召により、
本殿として京都御所の賢所(1855年建立)、
拝殿として神嘉殿(前述の神楽殿)を下賜、移築されました。

 

 

昭和15年の紀元2600年記念事業として、
宮域整備拡張事業が行われ、
弊殿・内拝殿・外拝殿・廻廊などの付属建物を造営。

現在に至ります。

 

 

橿原の とほつみおやの宮柱 たてそめしより国はうごかず

柏原の 宮のおきてにもとづきて わが日本(ひのもと)の国をたもたむ

明治天皇御製

 

 

 

 

廻廊に囲まれた外院斎庭。

波模様の玉砂利がきれいです。

いいなー直線美。

 

 

毎度毎度言ってますけど、廻廊大好きなんで、
たまりません。

 

 

ていうかもうね、
廻廊マニア、柱マニアでいいわw

 

 

はー。

 

 

癒される。

 

 

 

 

橿原宮での即位というと、
2016年秋に参拝した、桜井市の等禰神社の霊畤を思い出します。

紅葉がきれいだったな。

 

 

お伊勢さんは別として、
こうして大元の宮におじゃまするのは初めて。

神社巡り始めた2014年秋から、結構かかってます。

 

 

神武天皇の即位日である2月11日(紀元節)は、
すなわち現在の建国記念日。

建国って、2600余年前の建国を意味するんですよね。

 

 

昔は何も考えず、ただの祝日だと思ってたわ。

 

 

国津神サイドな自分にとって、
この建国という言葉は様々な意味を持ちます。

諸国統一の裏には、
当然、滅んだ小国や一族がいるわけなので。

 

 

ただ、
悲劇も平和も侵略も栄華も、
立ち位置が変われば、真逆の答えになるわけで、
それが私利私欲による蛮行でない限り、
相応の大義名分がある。

一方にとっての正義は、他方にとっての悪。
太古の昔から、歴史はその繰り返し。

 

 

かが滅び、何かが生き長らえ、
生命をつないで今があるのだから、

当時の敗者が、仮に勝者になっていたとしても、
果たして今のこの国を形作れていたかどうかは、
わからない。

 

 

今ここに国があり、人が生きていられるのは、
すべての国津神・天津神(という名の有力者、一族たち)の
命のやりとりの結果なんだよね。

勝者もいずれ生を終え、あるいは別の形で敗者となり、
かつて滅びた者たちと同じく、この国の礎(いしずえ)となっている。

 

相手を悪として憎しみをぶつけていいのは、
真実を知っている、その時代の当事者たちだけじゃないだろうか。

現代に生を受け継いだ自分がすべきなのは、
はるか昔の正義の所在を探ることより、
礎となった全ての人に手を合わせ、感謝することじゃないだろうか。

 

 

そんなふうに考えられるようになって、
ようやく、ここに来ることができました。

 

 

ちなみに、お伊勢さんへの参拝に時間がかかったのも、
似たような理由ですが、
今おもえば視野が狭かったなぁ。

 

 

 

 

お。これは。

 

 

現役退くまで、社殿のどこかにいた子だ。

遠く手の届かない場所にあったものが、
目の前に・・。(☆ω☆)

 

 

どうやら弊殿のてっぺんにいた鬼板さんらしい。

弊殿の千木の根元で、本殿を守ってくれてたのね。
お役目ごくろうさまでした。

 

 

 

その4へつづく・・。

 

 

 

 


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