伊勢つづき。
皇大神宮(内宮)へ。
平日にもかかわらず、この人の多さといったら・・。団体さんも次々とやって来ます。
改めて思う。やっぱりお伊勢さんは別格だ。
そして、神域の半端ない神々しさ。すごいわー・・。
もっと早くお邪魔すればよかった。
外宮と違い、この宇治橋は右側通行です。
五十鈴川きれいだなぁ。
社殿もそうだけど、建築物の側面とか背面を見たくなるのは何故なのか(笑)。
こんなところ写真撮ってる人なんて他にいないから、
そばにいた高齢の女性が「なになに?何かいる?」と目をキラキラさせて尋ねてきました。
すんません。ご期待に添えなくて・・。(´-ω-`)
手水舎。
人が途切れるのを待って一枚。
二の鳥居
人の流れに乗ってそのまま行くと、開けた場所に出ます。
五十鈴川 御手洗場
団体さんを案内中のガイドさんが、
「お金や数珠などを川に浸すと水が汚れるので、やらないで下さいねー」と叫んでました。
そりゃそうだ。
ここは身を清める場所なので、銭洗い弁天さん的な目的で小銭を洗っても意味ないし、
ましてやパワーストーン類を浸して清めるなんてのも、本来は有り得ない行為ですね。
「パワストのパワー復活~♪」なんて自己満はやめましょう・・。
あら?そういえば前にいた女性二人がずっと写真にうつってる。
まるで後を追ってるみたいじゃないかぁー。 なんか、ごめんなさいね・・(v_v)。
別名『御裳濯川(みもすそがわ)』とも称される五十鈴川。
その名は倭姫命が御裳のすそを濯いだことに由来すると伝わるそうです。
川岸に敷き詰められた石畳は、
1692年、徳川綱吉の生母・桂昌院が寄進したと言われています。
日本書紀によれば、
宮中に祀られていた天照大御神は、崇神天皇6年に笠縫邑へ移され、
豊鍬入姫命により祀られました。
垂仁天皇25年、その後を継いだ倭姫命は御杖代として天照大御神に奉仕し、
祭祀のための土地を求めて各地を巡ります。
その途中、一時的に鎮座した場所は元伊勢と呼ばれ、
日本各地にその名が残っています。
そして垂仁天皇26年、天照大御神の神託によりこの地に祠を建てて祀り磯宮と称しますが、
これが皇大神宮の始まりであるということです。
お伊勢さんの成り立ちにはそれこそ諸説あって、様々な形で論じられているので、
ここで自論を並べ立てるのは控えます。
しかしまあ、なんて透明度が高くて清らかな水でしょう。
きらきら光ってほんとに綺麗・・
さて、御手洗場で清めたあとは皆さんもれなく正宮へと向かっていましたが、
わたしは水に引き寄せられるようにそのまま川沿いへと進みました。
所管社
瀧祭神(たきまつりのかみ)
御祭神:瀧祭大神(五十鈴川の水神)
所管社ではありますが、別宮と同等の祭祀が捧げられている重要な社です。
別名を「おとりつぎさん」と言って、内宮(正宮)へお参りする前に滝祭神を参拝すると、
天照大神に願い事を取り次いでくれると言われているそうです。
そっか。
じゃあこちらが先で良かったんだね。
ていうか場所的にも、御手洗場からは自然とこっちに足が向かうとおもう。
瀧祭神は五十鈴川の水源の神さまで、治水を祈願して祀られているのだとか。
社殿を持たず、玉垣の内側には御神体である小ぶりな石が祀られています。
玉垣の中にひっそり鎮座する御神体ですので、写真は撮っていませんが、
とがった帽子のような円錐形をしており、
よーく見ると、それに蛇がぐるぐる巻きついているような形状をしています。
まるで縦長の巻貝みたい。
ていうか、どっからどう見ても蛇だよね。これ。
石に蛇を彫刻したもの。
三角形の縦長ピラミッドに、とぐろを巻いた蛇が乗っている という姿を
石に彫ったのかな?
この『五十鈴川の水源の神』というのは、具体的にどなたなのか。
公式サイトには詳しい記述がないのでとりあえずネット上の情報を見てみると、
・五十鈴川の水神である弥都波能売神(みずはのめのかみ)
・五十鈴川底にいらっしゃる龍神(蛇神)が御神体
・五十鈴川水源の龍神を鎮めるために祀られている水神
などなど。
だいたい共通しているようです。
まとめると、五十鈴川の水神(龍神/蛇神)である弥都波能売神(など) でいいのかな?
記紀以前、この地域ではかなり古くから石神祭祀をしており、
滝祭神とは『伊勢神宮の原型』だったのではないだろうか・・。
といった説を目にしましたが、私もそのように感じています。
弥都波能売神(水波乃売神/罔象女神)は、
言わずもがなブログ名の元にもなっている大好きな神さん。
やっぱり水神さんのいるところは居心地いいわ・・。
内宮に着いたばかりにもかかわらず、
ずーっとここに居たいと思うほど、心地よい時間を授かることが出来ました。
その⑧へつづく・・。