伊勢つづき。
饗土橋神社 の左手にある石段をのぼります。
まず目に飛び込んでくるのが、この大楠。
でかい。とにかくでかい。
堂々たる貫録で、でん!と鎮座していらっしゃる。
足元もまたすごい形状。
根の質感がなんだか木に見えず、どこからがコンクリなのかと一瞬わからなかった。
この写真だと人物との比較ができなくて分かり辛いので・・
入れてみた(笑)。
樹高20メートル、幹周9メートルほど、樹齢300年以上。
石垣に半分埋まっています。
いや、石垣が先か大クスが先か・・。
こんな場所にひっそり・・というか、どーーんと根を張り枝を広げている巨樹があろうとは
思いもしなかったですよ。
枝といっても普通の木の幹ぐらいある、スケールの大きな木。
御神木だと言われても不思議じゃないほど威厳あるお姿です。
林崎文庫へと通じる石段。
この日はあいてませんでした。
饗土橋姫神社と同様、きれいな神気が漂っています。
木々に覆われてあまり日の差さない場所なのに、とても清々しい。
あぁ、ここも好きだわ。
根元の石垣から回り込み。
大クスに守られたかのようなお社の姿が見えました。
内宮摂末社
大水神社・川相神社・熊淵神社
大水神社
御祭神:大山祇御祖命(山神)
川相神社
御祭神:細川水神(川神)
熊淵神社
御祭神:多支大刀自神(大水上命の子で、石清水の守護神)
創建は垂仁天皇の御代。
三社は倭姫命が定めた神社で、ひとつの社殿に同座しています。
さきほどの大クスが背後から太い枝を伸ばしていて、社殿を包み込んでいるかのよう。
足元をみると、眼下には駐車場。
でも皆さん、目指すは目の前の内宮です。
外の賑わいをよそに、計40分ほどの滞在のあいだ、他にやって来る人は誰もいませんでした。
実はこの日、饗土橋姫、津長、大水の三社のほかに、もう一社訪れた神社がありました。
饗土橋姫神社の左奥へと向かってずらーっと灯篭が並んでおり、一瞬迷ったんですが、
せっかくなので行ってみようかなと・・。
林というか、山の中の坂道をしばらく登っていきます。
木漏れ日が足元の小川に揺れてきらきらと美しく、
林立する灯篭のつくる影が絵になって素敵な光景。
・・・のはずなのに、清浄感や清々しさが感じられない?
道中から、いや社号碑を見たときから何となーく妙な違和感があったのですが、
社殿が近づくにつれてその思いは確かなものになりました。
住宅街の明るく開けた場所にある神社や、立派な造りの社殿を有した神社がある一方で、
鬱蒼とした木々に囲まれた寂しげな境内だとか、
足元の悪い獣道の先にある山中の古びた社殿だとか、
静寂を通り越して時間が止まったかのような神社は数多くあります。
そのような神社も今まで何度か参拝しましたが、
場所や建屋がもの寂しいってだけで、どこも神気は漂っていました。
が、ここは違う。
ただ朽ちているようにしか見えなくて、社殿を遠目に少しだけ見てすぐに引き返しました。
あとで詳細を調べてみると、
戦後しばらくして亡くなった人物を支援者の方々が30年ほど前に祀ったものらしい。
境内や社殿などは素敵な造りだし、祀られている方も良い。
なのに、何でこんなに放置された感が強いのか・・。廃神社なのかと思ったほど。
うーん、お世話する人がいないのかな?
30年前に建てられた当初は綺麗だったに違いない。
荒れた感を直し、多くの人が手を合わせていればきっと良い雰囲気も戻るだろうに。
崇敬する方々もいるであろうからこそ、あの状況がとても勿体なく・・。
場所が場所だから、神宮と何か関係あるのかな?と、つい強行突破的に進んでしまいましたが、
やはり直感は大事にしないといけませんねぇ。
書こうかどうか迷いましたが、
いつか美しいお姿にお目にかかれることを願いつつ、期待の気持ちも込めて。
そんな経緯もあったので、その後参拝したこの大水神社で元気復活。
饗土橋姫神社、津長神社、大水神社。
大好きな水神さんが勢ぞろいな場所だったから
よけいに心地良かったのかな。
とても優しくて心をほぐしてくれる、素敵な空間でした。
大クスが放つ清い空気を体に浴びて、いざ内宮へ。
その⑦へつづく・・。