白髭神社つづき。(滋賀ラスト)
さきほどの末社の更に後方、
鈴隈山のほうへ行ってみます。
斜面の上から見下ろしたところ。
そんなに距離はないのに、一気に空気が変わります。
行く先に、ラスボス感漂う何かが見えてきました。
あかーん。これは大好きなやつだ・・。
緑の海に浮かぶ、社殿と磐座。
岩戸神社
どうしよう。
好き過ぎて、言葉が出ませんわ。
通りに面した拝本殿のあった場所から、さほど離れてはいないのに、
ここは無音です。
個人的、当社のメイン。
そしてお隣の磐座。
きれいな形してますね。
そっか。
ここの主は、この御方なのか。
岩戸社の社殿後方は、意味有り気に囲われています。
中の磐座を祀るためのもの・・と思いきや、
実は岩戸社、古墳の横穴式石室の前に建てられていて、
囲いの下はちょうど玄室の天井部分にあたります。
横穴式石室は、玄室(棺を安置する場所)と、羨道(通路)から成っており、
社殿の中をのぞくと、そこはまさに古墳の入り口。
岩戸社が守る1号墳の玄室は、長さ2.5メートル、幅2メートル、高さ1.1メートル。
石室自体は全長およそ6メートルあります。
なので、社殿は羨道の覆屋みたいなものですね。
(↑超大雑把な、横穴式石室の断面図。)
普通の磐座とはまた違った空気をまとっているのは、
古墳だからなのかな。
そもそもが、岩戸社の右側(北)一帯が白髭神社古墳群と称され、
山の上のほうまで古墳が続いているらしいので、
全域が神がかってるのも、当然といえば当然。
周囲の盛り上がった丘部分は、アレもコレも墳丘なのだろう。
きっとこの磐座も、石室の上の岩が顔を出したものだね。
どんな人がここに眠っていたんだろうなぁ。
この場所に葬られたその人は、
何を成し、どう生きたのか。
何を思いながら、最期を迎えたのか・・。
ここは、まるで水の中にいるような安らぎを覚える場所。
古墳なら今までに幾つか訪れたけれど、
こんなにも水を感じる所は他になかったな。
湖畔に立つ神社だからと言うわけではなく、
山の麓にあって、なぜか深い水の底にいるような感覚になる。
神域を清め潤す水は、今なお眠るいくつもの魂を包み、
同時に、参拝に訪れた者の穢れをも流してくれる。
滋賀旅の最後に訪れたのは、
過去の人々と一体になれるような、
とても不思議な感じのする空間でした。
ラストは、琵琶湖に立つ鳥居のそばへ。
正面に見えるのは沖島ですが、
この一の鳥居と、湖中の鳥居を結んだ延長線上には、
伊勢神宮が鎮座しています。
神社の目の前が国道なので、
琵琶湖の湖畔へ行くにはここを渡ることになります。
が、その後に横断禁止になったそうで、
現在は国道を横切ることは出来ません。
(私がお邪魔した2017年4月は横断OKだったので、
皆さん普通に歩いてました。)
この記事を上げるにあたり、念のため社務所へお電話してみたところ、
やはり参拝当時は良かったんですが、
ここ1年ぐらいで湖中の鳥居が観光スポットと化し、
交通量の多い国道を渡る人が絶えず危険であるという事で、
横断禁止にしたのだそうです。
確かに、この時は先客も3人しかおらず、
のーんびり鳥居を眺めることができました。
インスタ映えするのも頷けるけど、
水上スキーで鳥居の下くぐるとか・・さすがに残念すぎる。
この静かな景観はもう見られないのかな。
ということで、おもむろに京都駅。
帰りの新幹線の時間までかなりあったので、
ちょっとお散歩です。
京都駅ビル、こんな風になってたんだ。
おもしろーーーい(*゚▽゚)。
階段のイルミネーションがまた素敵。
夜間はもっとキレイなんだろうね。
全長70メートル、171段の大階段。
一瞬、音叉のようにも見えましたが、
調べてみると、抽象彫刻の第一人者であった、故・清水九兵衛氏の
「朱甲舞」という作品なのだとか。
鎧をまとった舞人をイメージしているそうで、
朱色が印象的な、素敵なオブジェですね。
エレベーターで、上へ。
なんだろうね。この、空へ向かうようなワクワク感。
上からの図。
見れば見るほど、すごいデザイン。
撮影もギリギリな、日暮れ時。
楽しかった一日を振り返りながら、
穏やかな夕景を眺める。
神と仏の融合という、貴重な神事に立ち会えた日吉大社。
木々の中で、いにしえの人々を間近に感じた白髭神社。
幾度目かの滋賀旅は、
いずれも、過去の幻影に触れることのできた
思い出深いものとなりました。
またいつか。