九州つづき。
佐賀から阿蘇に移動します。
【上色見熊野座神社】阿蘇郡高森町上色見2619
1864年建立の鳥居と、
傍らに立つのは、愛らしい狛さん。
狛犬というよりは、狛猪っぽい
到着前から、右側頭部~後頭部がズキズキしてましたが、
境内に入ったら間もなく治ってました。
参拝前に痛くなるのも、それが瞬時に消えるのも、
普段はあまりない事なので、
この時点で他と違うなあと。
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、石君大将軍(健磐龍命の荒人神(荒魂)とされる)
創祀は鎌倉~室町時代、
信仰の対象として穿戸を崇めたことに始まると言われます。
その後、山嶽信仰と岩石信仰を結び付け、社殿を建立。
熊野信仰の広がりとともに修験者が紀州国熊野より伊邪那岐命、伊邪那美命を勧請し、
熊野穿戸社・穿戸社権現としたと考えられています。
200メートルほど続く杉林の参道沿いには、
奉納された97基の石灯籠が並びます。
山中の社寺は、どこも同じような空気をまとっていますね。
ただ、ここは他と違って、
参拝者の力が山頂に向かうんじゃなく、地中に向かう。
吸収されて山の一部になる、みたいな。
面白いなあ。
こちらの感想は、
・石段を登っている時はいつも感じる〝神域に同化する感覚〟がなく、
自分で自分に膜を張っているようなかんじ。
でも一番上にある穿戸岩を見て降り始めたら、霧が一気に晴れたようになり、
急に柔らかくなった境内との一体感が戻る。
・厳しいところだけど、正しき道に戻してくれる場所。
・参拝後は、色んなものが整う。無事に決着する。好転する。
上からの眺め。
石段を登り切ったところに立つ拝殿。
1722年建立、1979年改修。
ここまで来ると、ちょっと空気が柔らかくなる。
岩は社殿の裏をもう少し上がった所にあります。
穿戸岩(うげといわ)
この縦横10メートル以上の大風穴は、
健磐竜命(阿蘇大明神)の従者、鬼八法師が蹴破って逃げた岩壁とされるもの。
逃げた鬼八は高千穂で健磐龍命に捕まり、首を刎ねられるのですが、
そのとき鬼八の首が埋められたという首塚を、以前訪ねたことがあります。
高千穂の『鬼八』は、
別称:鬼八三千王、鬼八法師。
矢取りの不始末により主である健磐龍命の逆鱗に触れて殺され、
首・胴・手足をバラバラにして埋められました。
しかし首だけは何度も蘇って早霜を降らせるので、怨霊を鎮める神事でこれを治めました。
ただし高千穂の伝承によれば、
土地を治めていた鬼八は、妻の阿佐羅姫を御毛沼命(神武天皇の弟)に奪われた上、
殺されてしまったとされています。
これと酷似しているのが、岡山の『温羅』の伝承。
異称:吉備冠者、鬼神。
異国から渡来した鬼八は、製鉄技術を吉備にもたらし、
鬼ノ城を拠点として一帯を統治したとされます。
温羅は吉備平定に遣わされた五十狭芹彦命(吉備津彦命)に討たれ、
その鬼退治伝承は、桃太郎のモチーフになったとも。
温羅の首は、切り落とされてもなお鎮まることはなく、
妻の阿曽媛(阿曽郷の祝の娘)が釜殿の神饌を炊き神事を執り行い、
霊を鎮め続けました。
粗暴で人々から恐れられた鬼を退治した、という、
鬼八や温羅の伝説。
これは、大和朝廷側に反抗した先住・異族に対する、
中央側(勝者)から見た平定ストーリー。
おそらく温羅は朝鮮渡来系、
鬼八はさらに昔にやって来た大陸渡来系なのだろうな。
ただの凶暴な鬼ではなく、
いずれも優れた統治者であっただろう事は、
吉備「冠者」、鬼八「法師/三千王」という尊称にも
表われているように思えます。
この場所は、
・無風なのに、強い風が岩の向こうに吹き抜けていくかんじ。
風というか、光の柱が突き抜ける。
・風穴の向こうは、別の世界。
鬼八さんVS御祭神の念が、未だに何かを引き付ける所なのか。
鬼八・温羅が好きな自分にとっては、
悲しくも穏やかになれる、不思議な場所でした。
阿蘇から鹿児島へ。
【鹿児島神宮】鹿児島県霧島市隼人町内2496−1
大隅国一宮、式内社(式内大社)
入るなり立ち止まるw
こんな巨樹に出会ってしまったら先へ進めませんわよ。
主祭神:天津日高彦火火出見尊(山幸彦)、豊玉比売命
相殿神:帯中比子尊(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、
品陀和気尊(応神天皇/八幡大神)、中比売命
創祀不明。
708年には現在地へ遷座。
こちらの感想は、
・完全に出来上がっている、強く清い空間。悪しき者のつけ入る隙がない。
・浄化から護り、力まで、なんでも揃ってる。
すごいなー。境内は別世界なんだ。
本当に素敵なところ。
ここに何日も滞在していたいと本気で思いました。
あたたかくて優しくて強い、
父性あふれる神社でした。
最後に再び巨樹を満喫し、移動します。
その7へつづく・・。