日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

サラリーマン、辞めるか、ガンバルか

2006年03月26日 20時27分31秒 | 残日録
ホームページの更新で、江戸時代の武士、それものんびり過ごしているものや、仕事以外に多額の収入のある武士が如何に生きようとしたかを書いているうちに面白いので、ここにも書いてみます。
サラリーマンをリストラされたら
姫路藩も酒井家が支配していたころ、武士の務めに精勤でない、リストラ対象の下級武士がいました。松岡青羅(1740~1791)は、勤めをおろそかにしても、俳諧には興味があり、句会などにでていました。藩では見かねて出世の見込みはないと通告しました。思い当たるところのある(武士の生活に疲れていた)ので、近隣の加古川の大庄屋「中谷慶太郎」に相談すると、出家するように勧められました。(出家は檀家を抱えているか、スポンサーを得るか、諸国を巡る修行僧でした)中谷慶太郎は、青羅に「栗本庵」を建てて、俳諧の弟子をとることも勧めました。趣味が、人脈が、次の人生に役立ったのです。弟子は、3000人を数える俳諧師となりました。加古川の「光念寺」には、句碑もあります。姫路城内には、姫路市立城内図書館にも「青羅発句集」の蔵書があります。
サラリーマンでガンバルなら
歴代、江戸城で将軍の周りを警護する徒歩(かち)の家柄ですが、太田南畝(太田直次郎)は、黄本(こっけい本)や狂歌(江戸っ子の粋や穿ちを読む)の才能を早くから発揮して、「蜀山人」(筆名)として19歳ころには、名声と富を手にしていたんですが(家禄と比べるべくもない程)、40歳にもなると、贅沢や華美を排除することが(法律が)身の回りに迫ってきて(版元の逮捕)、蜀山人の名を捨て、太田直次郎として、生きる決意をします。40歳を越えてなお、4年に1度程度の幕府の登用試験(上級職試験)に望み、2回目で最高の成績で通るという伝説の人です。その後、長崎奉行など出世の道を歩みます。

あなたは、サラリーマンを続けますか?転進しますか?
「釣りバカ日誌」の「浜崎(ハマチャン)」のように趣味に生きますか?その趣味が、仕事の出来ない落ちこぼれの青羅には役立ちました。
一方、アルバイトで稼ぎ放題の「太田南畝」は、時代の流れを読みきって、サラリーマンの道に帰ります。「学問吟味」は大変な試験ですが、才能でしょうか、パスします。その試験の様子や顛末を書き残しています。

車にガソリンを補給(124*33)して、お米を精米(スーパーの駐車場にある精米機で(300))して、本屋に寄った。目当ての本は、発売されていなかったので、文庫本(650)と漢字クイズ(420)の本を買いました。


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