伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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行政の基本的スタンス  

2017-05-08 13:07:54 | 大きな時代の変革期
(支え合う社会づくり)

国の莫大な借金とともに、長期的な人口減少と税収減が予想されています。
国や自治体をあまりあてにせず社会福祉の実現、すなわち地域の幸せづくりをしていくには、
地域や個人で支え合う工夫をしていくことがこれから目指すべき方向と考えます。
行政や議会はこのような基本認識をもって取り組む必要があると思います。

個人のニーズや、社会に必要なことを提供しているのは行政だけではありません。
対価によって商品やサービスを提供する営利企業や、町内会やPTAなど
広い意味でのNPO活動もあります。



そのほか利用料金によって公共サービスを提供する上下水道や、
鉄道、電気会社などもあります。今後行政が縮小するならば、
代わりに別の分野がカバーしなければなりません。
行政サービスは「公助」と呼ばれますが、これから拡大していくべきは、
共助や互助の分野と考えます。



(環境に優しい社会)

地球環境の保全は人類が生きていく上でとても大切です。
資本主義経済の限界も見えてきました。日本は世界トップクラスの経済大国になりましたが、
国民の幸せの実感は高くありません。環境に優しい社会の要件を考えました。

  環境に優しい「3つのロー」
 ・ローテク    低エネルギー
 ・ローインパクト 環境に優しく
 ・ローカル    生活の場を大切に

・ローテクとは、単純な技術。
原子力発電で電気を作り、遠くまで送電して、エアコンで部屋を暖房する。
こういう生活から転換し、まきを囲炉裏やストーブで燃やして暖まる生活へ。

・ローインパクトとは、環境に対する低い負荷。
巨大なコンクリートの防波堤を作るより、
津波の来ない高台へ集落移転するような取り組み。

・ローカルとは、地方の生活や価値観を大事にすること。
風土に根差した伝統や生活は、「グローバル」という異国の価値観ではなく、
まさに地域固有の精神的豊かさです。
求めるものを「モノ」や「カネ」から「精神的な豊かさ」に切り替えると、
心の時代においては、田舎ほど先頭にいたのです。
道州制への移行も考えます。グローバル経済に日本中が食い荒らされるのではなく、
地方ごとの経済がしっかり自立できるように。



(持続可能な社会)

有限な地球の中で無限の成長を求める資本主義に限界が見えてきました。
持続可能な社会について考えます。
資本主義が最終的に行き着いたグローバリゼーションの逆を考えてみます。

  近代資本主義の理念
  「より速く、より遠くへ、より合理的に」を逆回転させると、
  「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」になります。


・「よりゆっくり」
「スローフード」という言葉があります。ファストフードへの反対をきっかけに起こった、
食を中心とした地域の伝統的な文化を尊重しながら生活の質の向上を目指す世界運動。
資本主義は「儲かるかどうか」というたった一つの価値観で世界を評価します。
他人は儲ける対象でしかなければ人間関係は殺伐としたものになります。
本来、何が好きか、何を大事にしたいのか、
どんな暮らし方や文化を尊重したいのかなどは、多様であり、
たった一つのモノサシを強制するべきではありません。
どんな国の田舎にも、世界的な企業の製品が入り込むなら、
地域の産業や雇用・文化は破壊されます。
「よりゆっくり」というのは、スローフードの精神のように、
地域の伝統的な文化を尊重しながら、生活の質の向上を目指す取り組みが
当てはまるのではないでしょうか。


・「より近くへ」
群馬県のスーパーマーケットには、県内で作ったジャガイモよりも安い値段で
北海道産のジャガイモが売られていることがあります。
このような状態では、県内の農家は経営を続けていくことは困難です。
現在の日本では、自動車会社なども国内の生産拠点を集約しています。
つまり国内のごく少ない工場でつくった車を全国に運んで販売しています。
もし、道州制が実施され、道州内の食料は道州内で生産されたものだったら。
もし、道州内で購入する自動車は各道州内で生産されるとしたら、
道州内に雇用が生まれ、経済が循環すると思います。

今の資本主義経済は、膨大な石油などの化石燃料を
輸送のために消費することで成り立っています。
化石燃料はできるまで数億年かかるので再生産はできません。
今のやり方は、そう長くは続けられないのです。


・「よりあいまいに」
グローバリゼーションにおける合理的とは「どっちがより儲かるか?」です。
現在の地球には資本主義が搾取する対象としての「周辺」はなくなりました。
それゆえ、同じ国内の中間層や、国の借金として未来からの搾取が始まっています。
それでは、多くの人は幸せにはなれません。
だとすれば「より曖昧に」は、いろいろな考え方や価値観があることを認め、
それぞれをお互いが尊重するということを意味していると思います。

もし、財政力だけで全国の自治体を評価すれば1位もありますが、最下位もあります。
たった一つのモノサシと序列が全てではありません。
それぞれ地域に、それぞれの暮らしや歴史や文化があります。
どこが1番で他は劣るということではなく、
「みんなちがって、みんないい」
これが幸せへの道ではないでしょうか。


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