K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

東京大空襲

2008年3月11日(火)

今日は4月の陽気
朝蕾だった花ニラが、夕方帰宅すると咲いていました。
花ニラの葉をちぎって鼻につけると、ニラのにおいです。
かわいい星型の花です。




1945年3月10日未明、アメリカの爆撃機B29が東京の下町に焼夷弾(朝鮮戦争やヴェトナム戦争ではパナーム弾と呼ばれました)の雨を降らせ、焼け野原にしました。
わずか2時間の攻撃で一般の人々が約10万人死にました。
このとき、大本営(明治以降、戦時または事変の際に、天皇に直属して陸海軍を統帥した最高機関)はなぜ戦争をやめられなかったのでしょうか。
このとき降伏していれば、
沖縄にアメリカ軍が上陸することもなく、
広島・長崎への原爆投下もなく、
ソ連の宣戦布告もなかったのに・・・

1931年に満州侵略が始まり、1937年には日中戦争と拡大し、1941年未明に
マレー半島上陸と真珠湾攻撃を奇襲攻撃することで、日米の戦争、太平洋戦争突入となりました。日本軍は6ヶ月間は優勢に戦争を展開させ、東南アジアと太平洋の島々を占領しました。しかし、1942年6月ミッドウェー海戦で敗北すると、アメリカの反撃に押され連敗を続けました。しかし、国民には正しい戦況を伝えなかったので、連敗を続けていることを国民は知りませんでした。
では、連敗の状況は下記のようです。
1942年6月日本軍、ミッドウェーを海戦で敗北
1943年2月日本軍、ガダルカナル島撤退
1943年5月アッツ島の日本守備隊全滅
1944年7月インパール作戦中止
       サイパンの日本守備隊全滅
1944年10月フィリピン沖海戦で日本軍敗北
1945年3月 硫黄島の日本守備隊全滅
    3月10日東京大空襲
1945年4月1日沖縄本島にアメリカ軍上陸
1945年6月23日沖縄全滅
1945年7月26日ポツダム宣言(米・英・中)
          日本に無条件降伏を勧告
1945年8月6日 広島に原爆投下
1945年8月8日 ソ連、日本に宣戦布告
1945年8月9日 長崎に原爆投下
1945年8月10日 条件つけ降伏連合国側に打電
1945年8月14日 ポツダム宣言受諾
1945年8月15日 昭和天皇の終戦のラジオ放送
1945年8月30日 厚木飛行場に連合国軍最高司令官マッカーサー到着
1945年9月2日 東京湾、アメリカ戦艦ミズーリ号は日本の降伏文書調印


ポツダム宣言を即座に受諾できなかった理由は国体護持、要するに天皇制を守りたいということでした。8月10日の条件とは国体護持でした。無条件降伏に条件をつけたことに連合国軍は戸惑い、ソ連は絶対条件を受け入れられない、イギリスも同様でした。しかしアメリカは戦争終了を望んでいたので、あいまいな文章のやり取りをして、日本のポツダム宣言受諾へと進めました。
大本営が国体護持にこだわったことが、
日本各地の空襲被害
沖縄の地上戦
広島・長崎の原爆の被害
ソ連の宣戦布告による満州在住の日本人の悲劇などなど、
(侵略した地域の人々を苦しめただけではなく)日本国民をも苦しめることになった戦争でした。
他国だけではなく自国民にも多くの犠牲を出した戦争の責任は日本の戦争遂行責任者にあったということとしっかり向き合いたいです。

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