昨日の続きですので、1つ前を読んでいただければ
今日は先ずベアテさんのお父さまについてお話します。
ベアテさんのお父さまの名前はレオ・シロタLeo Sirotaさん。1885年5月4日に帝政ロシアの キエフ(現在はウクライナ共和国)に生まれたユダヤ系ウクライナ人です。彼は5歳でピアノを始め、キエフ音楽院、ついで、ペテルブルク音楽院に学び、1904年にオーストリアのウィーンに留学しました。そして、ウィーンでピアニストとしてデビューすると「リストの再来」といわれ、世界中でコンサート活動をしました。
レオ・シロタさんはコンサートのために中国ハルピンに滞在中に山田耕作氏から日本でのコンサートを依頼されました。そこで、1929年夏、半年の予定で妻と5歳になる娘ベアテさんを伴い、シベリア鉄道でウラジオストック経由、海路、横浜に上陸しました。
1929年夏に来日したことがレオ・シロタさんご一家を日本に15年もの長期滞在とさせることになったのです。というのは1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街の株価大暴落に端を発した世界恐慌はヨーロッパ経済を悪化させ、レオ・シロタさんのヨーロッパでのコンサート予定を次々にキャンセルに追い込みました。さらに、翌年、ドイツでは国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチス)が第二党に躍進するとユダヤ人弾圧も強くなってきました。このようなことでレオ・シロタさんの帰国は危険な状況になってしまったのです。そこで、東京音楽学校の教授に就任して日本の音楽家を育てたり演奏家として日本で活動を続けることになりました。
次にベアテさんについて話を進めます。
ベアテ・シロタ(Beate Sirota)さんはレオ・シロタご夫妻の子として1923年にウィーンで生まれました。前述のように、1929年5歳の時に両親に伴われて来日しました。その年の9月には東京大森ドイツ学園(現・東京横浜ドイツ学園 DSTY: Deutsche Schule Tokyo Yokohama)に入学しましたが、30年代に入りドイツでユダヤ人弾圧が強くなるとアメリカンスクールに移りました。6歳のころから、ピアノとダンスを習い、さまざまなコンサート、オペラ、日本の伝統芸能を含む芝居などに馴染み、日本の文化を積極的に吸収して育ちました。ベアテさんの日本での生活は15歳でアメリカへ留学するまでの10年間でしたが、渡米した後、「自分の半分以上は日本人」と自覚するほど、日本文化を身につけたようでした。
当時の世界情勢はベアテさんのアメリカ留学のためのビザ取得も容易ではありませんでした。この時すでにオーストリアのウィーンはドイツに占領されていました。そこでレオ・シロタさんは、近くに住んでいた顔なじみの広田弘毅氏(元総理大臣・元外務大臣)を頼りました。 広田弘毅氏が米国大使に電話で直談判することで、米国大使館の了承を得てビザを取得したようです。
ベアテさんはサンフランシスコのミルズ・カレッジで文学を学びました。(ベアテさんはお父様からピアノの練習を毎日続けるように言われていましたが、音楽の道にすすむ気はなかったようです)1941年夏、渡米した両親とヴァカンスを過ごした後、お母さまは「このままアメリカに残ろう」と主張しましたが、お父さまのレオ・シロタさんは、東京音楽学校に対する契約履行義務があると主張し「私を待っている生徒たちがいるのだから戻らないといけない」と家族を説得して、9月になって日本に向かいました、が、途中ホノルルで、アメリカ政府は日本入国許可を渋りました。そこで、レオ・シロタご夫妻はホノルルに足止めとなり、レオ・シロタさんはハワイ各地でコンサートを開いて日本行きの許可が下りるのを待ちました。ついに アメリカ政府の許可が11月に下り、11月末にレオ・シロタご夫妻は日本に帰国しました。ご夫妻が乗った船が日米開戦前の日本行きの最後の便だったそうです。帰国10日後(日本時間1941年12月8日未明)に日本軍はハワイ真珠湾奇襲攻撃を行ないました。このため、レオ・シロタご夫妻の住む日本と娘ベアテさんが住むアメリカは戦争になってしまいました(太平洋戦争)。ベアテさんはご両親からの仕送りも連絡も一切途絶えてしまいました。
今日の文は一部Wikipediaを利用しました。
ベアテさんのその後は明日に続きます。
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