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こずえの遊び日記

名 古 屋 へ 10の16

2024-09-30 | Weblog

旦那様が、名古屋駅構内で購入した、「元祖 めいふつ天むす 千寿」  

三重県津市に本店を持つ、天むす発祥の店。 千寿の「元祖 天むす」は、秘伝の味付けで仕上げた小エビの天ぷらは、プリプリ食感。 優しい塩味で、ご飯との相性も抜群で、職人が一つ一つずつ丁寧に握るのも、こちらの店の伝統です

二日目も、1日、車の運転をしていた旦那様。 新幹線に乗り、車の運転からも解放され、駅で購入した缶ビールと、こちらの「元祖 めいふつ天むす 千寿」で、18時33分着の東京駅まで休憩となりました

三河湾で、海老が有数の水揚げを誇り、愛知県の県魚は、クルマエビ  名古屋の人は、海老が好きなんだそうです 

名古屋グルメと聞くと、‘エビフライ’ とイメージの一つに挙げられますが、タモリが、エビフライをネタにして、名古屋名物のイメージが広がったそうです

 

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名 古 屋 へ 10の15

2024-09-30 | Weblog

「ノリタケの森」を出発して、三連休の二日目でしたが、混雑を予想して、早めに、レンタカーを返却。 早めに名古屋駅に戻り、土産など購入して、名古屋発 16時57分発 のぞみ034号の帰りの新幹線に乗り込みました   帰りは、グリーン車でなくて、13号車の普通車です

座席について、ひと息ついて、前日、伯母宅で土産に頂いた 愛知県の郷土料理 ‘鬼まんじゅう’ を頂きました  前日、伯母宅では、‘鬼まんじゅう’ や 名古屋名物 ‘ういろう’ や ‘栗きんとん’ や ‘うさぎ饅頭’ など沢山並んでいて、沢山頂きました

鬼まんじゅう 戦中・戦後の食糧難の時代に、比較的に手軽に手に入った、サツマイモと小麦粉を

         使って作られ、米の代わりに主食として広まりました。

        角切りにしたサツマイモの角が、ゴツゴツ見える様が、鬼のツノヤ金棒を

         想起させた事から、この名がついたと云われています

 

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名 古 屋 へ 10の14

2024-09-30 | Weblog

こちらの名古屋市のマンホールは、1989(平成元)年に開催された、世界デザイン博覧会を記念して造られました

中心に、名古屋城の近くでは、中心が「名古屋城」。 左下から、「名古屋港」「宮の渡し」「名古屋城とテレビ塔」「東山動植物園」「名古屋国際会議場」がデザインされています

他のブログによると、中心に市章の2羽の鳩が描かれていますが、名古屋港の近くでは、「ポートビル」がデザインされているそうです 

 

 

 

 

 

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名 古 屋 へ 10の13

2024-09-30 | Weblog

こちらの名古屋市のマンホールは、2012(平成24)年に、下水道共用開始100周年を記念して造られました

名古屋市を中心部に流れる堀川に架かる ‘納屋橋’ を名古屋市上下水道構想 ‘みずの架け橋’ に見立ててデザイン  市内約100カ所に設置されています

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名 古 屋 へ 10の12

2024-09-30 | Weblog

名古屋市内を歩いていたら、見つけました  名古屋市のマンホール

1997(平成9)年から採用となった、名古屋市上下水道局のイメージキャラクター アメンボのデザイン

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名 古 屋 へ 10の11

2024-09-30 | Weblog

「噴水広場」から「Noritake」

Noritake 1904(明治37)年 森村市左衛門・大倉孫兵衛・飛鳥井考太郎らに

           よって、日本陶器合名会社が設立。

           日本で初めての高級洋食器を生産し、明治時代から戦前にかけて、

           陶器商社 森村組の手で、欧米に大量輸出されました。

           初期の製品は、ハンドメイドでの美しい絵付け  細工の繊細さ

           で知られ、その後は、アール・デコを基調としたデザインが大量に

           生産され、ノリタケブランドは、欧米で絶大な人気を博し、

           凝ったデザインは、現在でも「オールド・ノリタケ」親しまれ、

           愛好されています 

          第二次世界大戦で、熟練職人と生産設備を失い、戦前の様な高品質の製品を

           製造できなくなり、戦後は一時期、ノリタケブランドの名を使わず、

           「ローズチャイナ」というブランド名で輸出し、1970年初頭には、

           年間550万個 を、6本煙突があった工場で生産しました。

          その後、再び、高品質の製品が作れるようになり、ノリタケブランドが復活。

          1981(昭和56)年 商号を、株式会社ノリタケカンパニーリミテッド

           に変更。

          現在では、食器類の売り上げ比率は、15パーセント程度で、工業機材

           および、セラミックマテリアル・環境エンジニアリングの3事業が、

           75%を占めています

          2009(平成21)年 子会社である ノリタケエンジニアリング、

           日本陶器、ノリタケテーブルウェア・東京砥石の4社を吸収合併し、

          2010(平成22)年 ノリタケ機材とノリタケセラミックス2社を

           吸収合併。

          2024(令和6)年 創立120周年 商号を ノリタケ株式会社へ変更

社名の「ノリタケ(則武)」は、よく人物名に由来されていると勘違いされるが、創業地である、

愛知県愛知郡鷹場村大字則武(名古屋市西区則武) の地名に因むものであり、人名由来の社名ではありません

 

 

           

 

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名 古 屋 へ 10の10

2024-09-30 | Weblog

再び「噴水広場」に戻ってきました  人のいないアングルで、写真を撮ると、限られた方向でしか、写真が撮れないですが  写真を撮る場所によっては、「噴水」の後ろに、経済産業省の近代産業遺産に認定された 「赤レンガ造り建物」を入れて、素敵な雰囲気の写真も撮れるみたいです

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名 古 屋 へ 10の9

2024-09-30 | Weblog

ヒノキ科のメタセコイヤの並木がある、せせらぎ沿いを歩いて、広場方面へ向かうと、「日陶神社」がありました

社運の隆盛と安全の祈願を込め  天照大神・熱田大神・迦具土神の三神を祀り  1940(昭和15)年11月19日に建てられました

ノリタケの初代社長 大倉和親は、工場敷地内に家を建て、陶磁器産業の発展に、全力を注ぎました  その後、大倉和親邸の跡地に、当社殿が造営され、石造りの狛犬は、1941(昭和16)年 社内婦人会有志によって、寄進されました 

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名 古 屋 へ 10の8

2024-09-30 | Weblog

経済産業省の近代産業遺産に認定された  明治末期に建てられた「旧陶磁器センター」

1904(明治37)年 日本陶器合名会社の工場も、レンガ造りで、「ノリタケの森」の「赤レンガ棟」は、現存する唯一ものです  

煉瓦は、日本の開国とともに、幕末から輸入され始め、明治でも日本国内で作られ、文明開化のシンボルとなり、多くの建造物に使用されました

3年前(2021年11月10日~11日~行ってきました334編~も覗いて見て下さいね) に、栃木県野木町の「野木町煉瓦窯」の「ホフマン窯」で、煉瓦窯の跡地を見に行きました  

3年前に訪れた(2021年5月25日~27日~行ってきました319~322編~も覗いて見て下さいね) 深谷市。 今年の1万円札の顔でもある、渋沢栄一の故郷でもある深谷市にも、「旧煉瓦製造施設」の「ホフマン輪窯6号窯」も現存していますが、2023年から保存修復の為の工事で、見学は中止となっています

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名 古 屋 へ 10の7

2024-09-30 | Weblog

「ライフスタイルショップ ノリタケスクエア名古屋」から、「噴水広場」の方へ歩いてきました  「赤レンガ造りの建物」が見えます  

写真の建物の右側に、今回は写真に撮れなかったのですが、東側にある、1904(明治37)年建築の「旧製土工場」は、8月10日~10月17日まで、保存と修復工事をされていて、見る事ができなかったです

1904(明治37)年 日本陶器合名会社の最初となる工場が建設され、1975(昭和50)年 

まで、稼働したこのしっとりとした風情のある佇まいが、印象的な赤レンガ造りの建物です

「6本煙突のモミュメント」(2024年9月~名古屋へ10の1編~も覗いて見て下さいね) と同じく、経済産業省の近代産業遺産に認定  名古屋市の認定地域構造物資産に認定  

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