手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

手話通訳者のブログ/感謝

2015-01-01 18:21:29 | 日記
「手話・点字」カテゴリで14位に上昇しました。
みなさんのおかげです。
ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

ヤングたいし/恩師の涙

2015-01-01 18:15:41 | 日記
今では考えられないことかもしれないが、昔は、ろう者が大学に進学することは、とても難しかった。
まず、学力。
昔のろう学校は今と違って、一般の学校よりもはるかに、レベルが低かった。
ろう学校から大学に進学できる生徒なんて、ろう学校の中でもトップの成績を修めているような、本当に優秀な学生だけだった。
俺が手話を学ぶきっかけとなったのは、同じ学部にろう学生のKがいて、彼と仲良くなったから。
Kはすごい秀才だった。
大学を受験し、見事合格したのだ。
地元のろう学校卒業生で大学に進学したのは、Kが初めてだった。
しかし・・・
実は、入学試験で合格点を取ったのに、Kの入学を認めるかどうか、大学関係者たちが協議した。
大多数の意見は、
「もし、入学後、手話通訳者の設置など、情報保障を求めてきたら、大変コストがかかる。大学として対応するのは難しい。入学を認めるべきではない」
というものだった。
この時、恩師のK先生が、猛然と抗議し、激しい議論の後、ついに入学を認めさせた。
この事実を知ったのは、Kが入学して1年以上経過してからだった。
Kが大学に入学できたのは、K先生のお蔭である。
この事実を知った時、K先生にお礼を申し上げた。
すると、先生は突然、涙を流された。


「たいし君は優しいな・・・」
いや・・・だって・・・先生が強く主張してくださらなかったら、Kは入学できなかったはずです。
「そうやって、自分のことのように喜んで、ごく自然にお礼の言葉が出る。素晴らしいことだ・・・」


ちょっと褒めすぎだろう、と思った。
もともと情の厚い先生だったが、涙を流すなんて・・・


先生の涙の理由を知ったのは、それから数か月後のことだった。

K先生の他に、T先生という、経営組織論を教えている先生にもお世話になっていたが、ある日、T先生が飲みに連れて行ってくれた。

「たいしはKゼミだったな」
はい。
「K先生に世話になってるだろ?」
はい。学習面だけではなく、本当に、いろいろお世話になっています。
「お前は優秀だから、センコーに目をかけられるのは当然だが、理由はそれだけじゃない」
いや、あの、優秀ではありません。単位が取れず、1回生の時、留年しました。
「ははは。お前が留年とはな。ま、それなりに事情があったんだろう。まあ、過去のことはどうでもいい」
はあ・・・
「いいか、今から話すことは、誰にも言うな。K先生にもだ」
わかりました。
「K先生の御子息、重度の障害者なんだ」
えっ!?
「聴覚障害ではないが・・・手話を勉強しているお前ならわかるだろう。世の中は障害者に冷たい」
はい・・・
「K先生はご子息のことで、いろいろ悩んでいる。だから、ろう学生Kのために手話を学んでいるお前に、特別、目をかけているんだろう」
そうだったんですか・・・


なるほど・・・
ろう学生Kのために本気で怒り、教授会でKの入学を強く主張してくれた背景には、息子さんの存在があったのだ。
そして、俺がKのために手話通訳している様子を見て、ご子息のことを思い、俺を応援してくれたのだ。
そうか・・・


障害者に限らず、世の中は冷たいものだ。
学生時代、手話を学ぶきっかけを作ってくれたK、そして公私ともに指導してくださったK先生、そしてT先生。
若いころの素晴らしい出会いが、今でも俺を支えてくれている。




手話通訳者のブログ/ありがとうございます。

2015-01-01 12:18:35 | 日記
なんと、「手話・点字」カテゴリ中で16位まで上昇しました。
読んでくださっているみなさんのおかげです。
ありがとうございます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

ヤングたいし/ろう者が受けていた差別

2015-01-01 06:31:21 | 日記
むかし昔そのまた昔の学生時代、偶然、同じ学部にろう者の学生がいて、彼と友達になったのが、手話世界に入り込むきっかけとなった。
あの頃、最もお世話になったのがK先生。俺はK先生のゼミ生だった。


先生、手話の勉強を始めました。
「ほう、そうか。それはいい。うちの大学で手話を学んでいる学生なんて、たいし君だけだろう。頑張りなさい」
ありがとうございます!


K先生には公私共に大変お世話になった。
飲みに連れて行ってくださったこともある。
その時、思いがけない話を聞いた。

「たいし君は専門分野の勉強も頑張っているが、手話も頑張っているようだね」
はい。
「K君に聞いたよ。彼のために講義の手話通訳を引き受けているんだって?」
えっ、先生、Kをご存じなんですか?

(Kとは、同じ大学で学んでいた学生で、ろう者である)

「僕は・・・実は、彼の入学の時から彼に関わっていてね・・・」
入学の時から???
「今から話すことは、誰にも言わないでもらいたい」
わかりました。
「実は・・・K君を学生として受け入れるかどうか、教授会で話し合いをしたんだ」
え!? どういうことですか?
「今、学生運動がさかんだろう。学生たちは権利に目覚めた、と言っていい。もし、K君が入学後、講義に手話通訳者をつけてくれ、とか、情報保障の責任を大学側に求めてきたら、大変なコストがかかる。対応できるかどうかわからない。だから、“入学を認めるべきじゃない”と主張する教授が多くてね・・・」
そんなバカな! ちゃんと試験を受けて合格したのに、不合格にするってことじゃないですか!
「その通りだ。僕も腹が立った。“試験の結果がすべてです。当然、入学を認めるべきです”と主張した。でも多勢に無勢。入学を認めよう、と主張したのは、僕とT先生だけだった」
・・・・・
「K君のために、教授連中と2時間も議論したよ。最後には学長が“よし、入学を認めよう”と言ってくださった。安堵したよ」
先生、ありがとうございました!


その時、突然、先生が涙を流された。


「たいし君は優しいな・・・」
いや・・・だって・・・先生が強く主張してくださらなかったら、Kは入学できなかったはずです。
「そうやって、自分のことのように喜んで、ごく自然にお礼の言葉が出る。素晴らしいことだ・・・」


ちょっと褒めすぎだろう、と思った。
しかし、先生の涙には理由があった。それについては、いつか、別の機会に書かせていただく。


上記のような差別が、以前は、珍しくなかった。
時代は流れ、手話は言語と法的に認められ、状況は大きく変わったが、上記のような差別は表に出てこないだけで、今でもたくさんあると思う。