手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

ヤングたいし/俺が手話通訳者になったら

2015-01-02 21:55:23 | 日記
むかし昔そのまた昔、学生時代に手話の勉強を始めた。
当時、手話講習会なんて滅多になかったし、手話サークルも非常に少なかった。
そういう場所に行くためには、電車に乗って遠方まで出かけなければならなかった。
でも、そういう苦労が全く苦にならないぐらい、手話の魅力に取りつかれていた。

こうやって動き回り始めた頃から、手話通訳者(有資格者)に会うようになった。

手話通訳者たちに会った最初の印象。
「手話通訳者は2種類に分類できる。威張っている人と、威張らない人だ」

手話通訳者の観察を始めた。
自分自身、手話の初心者であり、直接彼らを見ても、技術の違いはわからない。
しかし、それなら、ろう者の目を借りればよい。
どういうことか。
それぞれの手話通訳者と、ろう者が話しているところを見ればよい。
優れた手話通訳者と話している時、ろう者の表情は自然で生き生きしている。
しかし、未熟な手話通訳者と話している時、ろう者の表情は硬い。

確信した。
威張っている手話通訳者は、未熟者である。

では、優れた手話通訳者になるためには、どうすればいいか。
威張らないこと。
謙虚に、学び続けること。

試験に合格して資格をもらっても、決して、威張るようなことはしない。
そう、誓った。
威張っていると、みっともない上に、技術向上のためには害になる。

あの時確信したことは、今では信念となっている。



ヤングたいし/手話サークルを作ろう!

2015-01-02 05:58:22 | 日記
今では手話サークルなんて珍しくもない。
あちこちにある。
しかし、むかし昔そのまた昔、わしらが学生だった頃は、非常に少なかった。
手話サークルがない市町村なんて珍しくなかった。
いや、手話サークルがある市町村が珍しい時代だったのだ。

当然、わしらが通っていた大学にも、手話サークルなんてなかった。

ある日、ろう学生Kと話していて、
「手話サークルを作ろう!」
という話になった。
ちゃんと大学の公認をとって、堂々と活動しよう、ということになった。
しかし・・・
それからが、大変だった。

当時、手話に対する偏見はひどいものだった。
みっともない。
そんなものは必要ない。
今では考えられないような、本当にひどい扱いだったのだ。

そして、大学側の警戒がすごかった。
当時は学生運動がさかんで、大学の方針とか、授業料とか、学生たちが集団で大学側と交渉する、なんて日常茶飯事だった。
わしらが通っていた大学は、こういう学生運動を一切、禁止していた。それらしい動きをした学生は呼び出される。
学生運動禁止を言い渡され、それを守らなければ、退学させられた。

大学側が警戒したのは、
「聴覚障害学生の権利確立のために」
とスローガンを掲げ、学生たちが運動を始めるのではないか、ということだ。
そのため、サークルの設立をなかなか認めてくれなかった。

「規約もないようなサークルの設立は認めない」

そんなら、規約ぐらい作ってやるわい!
Kと一緒に、活動目的、活動時間など、規約を作って学生課に持っていった。

「当大学の教授が顧問についていないから、認めない」

すぐに、Kと一緒にK先生に頼みにいった。
K先生は快諾してくれた。

「会員が30人未満だから、認めない」

Kと一緒にポスターを作り、必死に呼びかけ、やっと30人の会員数となった。
ついに、設立!


今ではどこの大学でも、高校でも、手話サークルなんて珍しくもない。
懐かしい思い出である。