手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

手話通訳者のブログ/お礼

2014-12-31 21:10:05 | 日記
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まずは、にほんブログ村のみなさんに感謝申し上げます。

そして、なんと言っても、いつも読んでくださっているみなさんに、お礼申し上げます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

ヤングたいし/スキーの帰り

2014-12-31 21:06:34 | 日記
学生時代の思い出話。ろう学生の友人から、「スキーに行こう」と誘われた。
俺以外、全員ろう者。
スキー場でも、宿泊した民宿でも、いろいろあった・・・
それらは、過去のブログに書いた。

帰りは夜行バス。
夜、出発して、眠っている間に地元に帰ってくる算段である。
スキーも楽しんだし、夜は寝る間も惜しんで仲間たちと話していたから、疲れていた。
バスが発車した。
さあ寝よう、と思ったその時、なぜか、バスの中で映画が始まった。しかも、アダルト映画・・・
眠気がぶっとんだ。
ドキドキして見ていると、背中を突かれた。
振り返ると、聾の友人たちがニヤニヤしている。


「たいし、通訳してくれ」
は?
「俺たち、聞こえないから、台詞がわからない。通訳頼む」


色っぽい、大人のシーンである。
通訳するような、会話もない。


あのなあ、こんなん、通訳できるわけないやろ。
「何言ってるんだ! たいしは手話を学んで、聴覚障害者の情報保障のために活動してるんやろ? 一般の乗客は映画を楽しんでいる。ろう者だけ楽しめないなんて、差別やんか。情報保障、よろしく!」
じゃがまし!!


相手にするのが馬鹿馬鹿しくなった。
後ろで仲間たちがゲラゲラ笑っている。何が情報保障じゃ。最初からからかうつもりなんやろ。
アホらしくなって、眠ることにした。
しかし・・・
なぜか、真面目に考え始めた。
ろう者って、映画を楽しむこと、できるんか?
(当時、字幕がついているのは洋画だけだった)

確かに、一部、邦画でも字幕が付いている。でも、「文部省推薦」なんて、硬い内容のものしかない。
(今ではDVDなどでアニメなど様々なジャンルのものが字幕付きで楽しめるが、当時は全くなかった)

おかしい。
何かが、おかしい。
役所が「これは良い内容だから字幕をつけました。どうぞ、見てください」なんてのは、発想の根本が間違っているのではないか。
仮にくだらない内容だとしても、ろう者が見たいと思う映画に字幕をつけるべきではないか。

真面目な議論がしたくなり、振り返ると、全員、眠っている。
なんじゃ、こいつら・・・


あの時感じた違和感は、今でもある。
手話通訳者派遣制度だって、そうだ。
手話通訳者を派遣してもらえるのは病院、学校、公的施設など。
つまり、役所が、「ろう者はここに行ってもよい。それ以外はダメ」と決めていることになる。
こんなのは、人権侵害と言ってよい。

高松市の裁判の影響で、手話通訳者を派遣できる行先も内容も、ずいぶん広くなった。
喜ばしいことである。




ヤングたいし/ろう者に交じってスキーへ

2014-12-31 07:30:53 | 日記
学生時代の思い出話。
当時は学生運動が盛んで、ろう学生たちもいろいろ活動していた。
その中に入って一緒に活動していた。

ある日、「スキーに行こう」という話になった。
俺以外、全員ろう者。
予約していた民宿へ。
民宿のみなさん、とても親切。
丁寧に筆談してくれる。

みなさん、素晴らしいなー。

ろうの仲間たちと会話する時は手話。声なし。
だから、民宿の人たちは、わしら全員ろう者だと思っていた。

1泊して、十分にスキーを楽しみ、帰る時、みんなで挨拶した。

お世話になりました。ありがとうございました。

普通に喋る俺を見て、おかみさんが急に怖い顔になった。

「ちょっとあなた、聞こえるの?」
はい。
「どうして黙ってるのよ! 私たちが一生懸命筆談してたのに! 通訳してくれればいいでしょ!」
え・・・


(俺はただ、仲間と遊びに来ただけや。手話通訳にきたんとちゃうで。なんで怒られなあかんのや)


今、改めて振り返ると、おかみさんの怒りもわからないではない。
でも、釈然としない気持ちが、今でもある。
まあ、社会経験のない学生のことだから、うまく自然に立ち回れなかったのも仕方ないように思う。手話についても勉強を始めたばかりで、通訳などできる力量はなかったし。

もし今なら、おかみさんを怒らせるようなことはないだろうと思う。
手話そのものが上達したこともあるが、人生経験の賜物だろう。

手話通訳の現場においても、人間関係などで非常に難しい場面も経験する。
20代の若い通訳者が誕生しても、そういう厳しい現場に出されてつぶれてしまうことも少なくない。
若い手話通訳者を派遣する時は、若者を上手にサポートできるベテランを一緒に派遣していただきたい。
コーディネーターの役割は重要である。



ヤングたいし

2014-12-30 17:19:04 | 日記
むかし昔そのまた昔、試験に合格して、手話通訳者になった頃の話。
若い頃から異常なほどの暑がりだった。
試験に合格した時、ふと思った。
手話通訳者の資格をもらうと・・・
最初にメージしたのは、舞台袖に立って通訳している自分だった。

あの場所は、暑い・・・
手話通訳者は、舞台照明の近くに立つことが多い。ものすごい熱である。季節に関わらず、暑い。

子供の頃から、暑がりだった。
学芸会の時、級友たちが生き生きとステージで演技している時、自分だけ汗まみれになって、「早く終わらないかな・・・」と思ったことを思い出した。
いっそ、坊主頭にしてしまおう。

試験に合格できなくて、反省して坊主になるなら解る。
しかし、合格した直後に坊主になるのだから、当時から変人だったらしい。

手話通訳者は今でも若い人が少ないが、当時はもっと少なかった。
若い男性となると、それだけで注目された時代である。
先輩手話通訳者は、母親より年上のおばちゃんばかりだった。
そのため、非常にかわいがっていただいた。

「かわいーい! 一休さんみたい」

とんちんかんちんとんちんかんちん、気にしない・・・

アニメの一休さんを思い起こして、げんなりした。
「もう二度と坊主頭にはしない」
そう心に誓ったが、時すでに遅し。

「たいし」の手話は「坊主」になってしまった。
今でも、年輩のろう者は「坊主」と表して「たいし」と言う。




手話本紹介/手話の森を歩く/高田英一著

2014-12-30 05:24:54 | 日記
筆者紹介
http://www.itogazaidan.jp/kinen/kako/japan/42_takada.htm

現実には会議の主催者の恣意によって手話通訳は保障されたり、されなかったりするのです。

本質を突いた重要な指摘である。
上記の「恣意」という言葉、現在の手話通訳者派遣制度が抱えている大問題を端的に表している。
例えば、このブログでよく書いている手話通訳者の指名について。

ろう者Aさんはおとなしい。
派遣者の事務所に行って、
Aさん「手話通訳、たいしさんを派遣して欲しいのですが・・・」
派遣者「手話通訳者の指名は認めません!」

ろう者Bさんは気が強くて権利意識が高い。
Bさん「手話通訳、たいしさんを派遣してください」
派遣者「手話通訳者の指名は原則として認められないのですが・・・」
Bさん「手話通訳者を指名することは、ろう者の権利だと考えています。たいしさんを派遣してください」
派遣者「わかりました。特別に認めましょう」


上記のような派遣者の態度が、「恣意」である。
その時の気分によって、ルールを変えてしまう。これは大問題なので、現実世界において、常に指摘しているが、派遣者も、地元主流派手話通訳者たちも、理解できないようだ。実に情けない。