ろう者と親しくなると、こういう話をよく聞くようになる。
興味津々(笑)
ただし、自戒しなければならないことがある。
人のうわさ話を聞く、ということは自分の噂も、同様に、誰かが誰かに話している、ということだ。
手話通訳者を批判するような言葉を聞いた(見た)ら、自分に向けられた批判として受け止める姿勢が必要だろう。
先日もろう者のFさんと、こういう話題で話した。
「手話通訳者A、知ってるか?」
知ってる。
「あいつはあかん!」
なんで?
「俺の手話、全然読めへんのや」
ふーむ・・・
「この間、通訳にきてくれたんやけど、俺の手話、全然わからんらしい。え、え・・・という感じ」
そりゃ、困ったな。
「はっきり、言ってやった。よく試験に合格したな、って」
うわー・・・きついな・・・
「一応、通訳終わって、別れる時、“手話通訳者として未熟でごめんなさい。できれば、時々、会ってくれませんか?あなたの手話、ちゃんと理解できるようになりたいのです”って、言われた」
で、何て答えたん?
「忙しいから無理、って」
・・・・・
まず、ろう者の立場に立って考える。
自分が話していることを手話通訳者が理解できていない場合、がっかりするだろう。腹が立つだろう。「それでも手話通訳者か!」と言いたいだろう。
だから、Fさんの気持ちはよく解る。だから、Fさんを責める気はない。
しかし・・・
Fさんにも、ちょっと、考えて欲しい。
手話通訳者を育てることができるのは、ろう者だけだ。
研修を受けたって、手話世界の有名な偉い先生の講演を聞いた(見た)って、急に手話がうまくなるわけではない。
手話が下手ということは、「ろう者との会話経験が少ない」こととイコールである。
逆もまた真なり。
手話がうまいということは、「ろう者との会話経験が豊富」であることとイコールである。
「手話通訳者のレベルが低い」と嘆いているだけでは、何も変わらない。
手話通訳者を育てることができるのは、ろう者だけだ。
手話通訳者が謙虚に教えを乞うているなら、教えてやって欲しい。
「指導」なんて難しく考えなくていいのだ。
時々会ってやるだけでいい。
話す内容も自由だ。
「あんたは手話通訳者失格。理由は云々・・・」
という内容でよい。
ただの嘆きから一歩踏み出して、手話通訳者を育てていただきたい。
興味津々(笑)
ただし、自戒しなければならないことがある。
人のうわさ話を聞く、ということは自分の噂も、同様に、誰かが誰かに話している、ということだ。
手話通訳者を批判するような言葉を聞いた(見た)ら、自分に向けられた批判として受け止める姿勢が必要だろう。
先日もろう者のFさんと、こういう話題で話した。
「手話通訳者A、知ってるか?」
知ってる。
「あいつはあかん!」
なんで?
「俺の手話、全然読めへんのや」
ふーむ・・・
「この間、通訳にきてくれたんやけど、俺の手話、全然わからんらしい。え、え・・・という感じ」
そりゃ、困ったな。
「はっきり、言ってやった。よく試験に合格したな、って」
うわー・・・きついな・・・
「一応、通訳終わって、別れる時、“手話通訳者として未熟でごめんなさい。できれば、時々、会ってくれませんか?あなたの手話、ちゃんと理解できるようになりたいのです”って、言われた」
で、何て答えたん?
「忙しいから無理、って」
・・・・・
まず、ろう者の立場に立って考える。
自分が話していることを手話通訳者が理解できていない場合、がっかりするだろう。腹が立つだろう。「それでも手話通訳者か!」と言いたいだろう。
だから、Fさんの気持ちはよく解る。だから、Fさんを責める気はない。
しかし・・・
Fさんにも、ちょっと、考えて欲しい。
手話通訳者を育てることができるのは、ろう者だけだ。
研修を受けたって、手話世界の有名な偉い先生の講演を聞いた(見た)って、急に手話がうまくなるわけではない。
手話が下手ということは、「ろう者との会話経験が少ない」こととイコールである。
逆もまた真なり。
手話がうまいということは、「ろう者との会話経験が豊富」であることとイコールである。
「手話通訳者のレベルが低い」と嘆いているだけでは、何も変わらない。
手話通訳者を育てることができるのは、ろう者だけだ。
手話通訳者が謙虚に教えを乞うているなら、教えてやって欲しい。
「指導」なんて難しく考えなくていいのだ。
時々会ってやるだけでいい。
話す内容も自由だ。
「あんたは手話通訳者失格。理由は云々・・・」
という内容でよい。
ただの嘆きから一歩踏み出して、手話通訳者を育てていただきたい。