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宗男日記から

2010年08月15日 | Weblog
ムネオ日記
2010年8月15日(日)
 昨夜、22時35分(日本時間15日、6時35分)ヤウンデを発ち、15日6時10分(日本時間13時10分)パリに到着。6時間半のフライトで一眠りするとあっという間だった。昨日も触れたが、ヤウンデは通信事情が悪く、ホテルの国際電話、国際携帯電話も通じず、不便極まりなかった。しかし、自分のペースで生活しているカメルーン人は、何不自由ない様な素振りで羨ましい限りである。何が幸せかとふと考える時、知らない事が何よりと思ったものである。
 カメルーンと言えば、8年前ワールドカップサッカーで大分県中津江村に合宿して以来、とみにカメルーンが話題になり特にサッカー代表選手は「不屈のライオン」との異名をとり日本でもカメルーンファンが多くなった。
 カメルーン側は、日本の経済協力で1997年以来建設が続いている小学校が118校にのぼり「日本の学校」として国民に広く知れ渡り、多大な感謝をしてくれた。アフリカには何回も足を運んだ私だが、中部アフリカは初めてであり、貴重なカメルーン訪問であった。ここでも中国が国際会議場等を建設し、カメルーンとの関係強化を模索しており、かつて日本がアフリカ援助の一方の旗手だったが、近年中国におされ気味である。アフリカ各国の支援なくして日本の国際社会における名誉ある地位はいただけない。閣僚のアフリカ訪問、議員交流、民間人交流をしっかりやっていかないと日本人への関心が薄れていく。この点しっかり戦略外交をしていかないと遅れをとってしまう。9年ぶりのアフリカ訪問だったが感慨深いものとなった。政治も外交も人である事を改めてアフリカの空の下で感じたものである。カメルーンのTV各局は私の訪問を取り上げており、ホテルで会ったカメルーン人からもTVで見ましたと握手を求められた。
 14日朝ホテルで、1991年私が外務政務次官時に外務省招待で日本に来たタンザニアの方が、同じく私がTVに出ていたのを見て、偶然同じホテルに居合わせ面会できた。19年前、私が夕食会を催しそして2次会迄やった事に感謝しており、大変興奮した面持ちで昔話をしてくれた。
 「人種の色と地の境、我が立つ前に差別なし」をモットーにして来たが、改めて「人情」というものは肌の色、言葉が違おうともつくづく感じた次第である。

鈴 木 宗 男

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新党 大地 


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