鴻風俳句教室

皆さんのホームページです
写真と俳句で美を追求しましょう
そしてこの世に生まれてきた証を残しましょう
 

明月や雲一片なき北の町(写真7枚・俳句4句)

2015年09月27日 23時14分14秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

 

 

 ・・明月や雲一片なき北の町

・今年(2015年)の「十五夜」は今日(9月27日)であった。

前中は大雨で雷も混じり月は拝むことが出来ないと思って居たが、午後から晴れだした。

5時頃から雲いっぺんない素晴らしい、明月となった。早速一枚映す。夜9時撮影。

 

 

 

・・大栗も供え明月待ちにけり

・・栗を送ってくださった方がある。半分は着いたその日に茹でていただいたが、

あとの半分は十五夜さんにお供えしたいと思ってとって老いた。それが、これである。

 

 

 

・・・菊、芒、竜胆を活け けふの月

・・・菊などは買ったが、芒と竜胆と鬼灯は隣のおばあちゃんが届けてくれた。

月見団子も兎の耳の模様のついたまんじゅうも今では売っている。

ただ、お餅をお土産にいただいたが、すごくおいしいお餅であった。

上げられるものは何でも供えた。

写真には写ってはいないが、手前にも沢山のお供えがあるのですよ。

 

 

 

 

・フラッシュを塚っての写真です。

 

 

・・・・箱を出て銀鱗光る鮭の貌

・・鮭を送ってくださった方もある。発泡の箱を開くと銀鱗がびかびかにかがやく鮭が出てきた。

早速、「はららご」を醤油漬けにした。荒は味噌汁、実はバター焼きにした。感謝感激である。

 

・・片手では持てないほどの、重い鮭である。

  ・十五夜写真7枚・俳句4句

 

 

 


獣道行くほまち畑にらの花(にらの花4枚・紫陽花2枚)

2015年09月26日 20時05分34秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

 

・・韮の花線香花火の火花散り

 韮の花は線香花火に似ている。ちりちりと燃える火花に似ている。「火花」と云えば、

今年の芥川賞は羽田圭介の「スクラップ・アンド・ビルド」であったが、17歳の時「黒冷水で文藝賞を受けており、これまでに3回芥川賞に

ノミネートされてきた。そんなことで、直木賞じゃ無いのと思ったほどである。

 後の一作が、「よしもと」所属のお笑い芸人である、又吉直樹の「火花」であった。どちらも、読み応えがあった。

この俳句を作ったとき、この「火花」が頭をよぎったことも事実である。

 

 

・・獣道行くほまち畑にらの花

  「ほまち」という言葉をご存じであろうか。なんとなく方言のような響きがあるが、「広辞苑」にも出ている言葉で、「主人に内密でかぞく・使用人が

 開墾した田畑、また、蓄えた金~」と説明してある。独りの老女が腰に鎌を背負って獣道を歩いて行く。行き着く先は6畳か8畳と思える広さの

 ほまち畑のようである。畑には韮の花が咲いている。

 

 

・・蝶来ては去り膨らめる韮の花

 見るからに弱々しそうな黄色い蝶が飛んできたかと思うと、韮の花の上を飛び移っていたが蜜を吸うでもなく、再び弱々しそうに飛び去った。

今夜は何処で泊まるのだろう。それとも自分の家を持っているのだろうかと、そんなことを思って居た。

 じぃじには家がある。家を建てて20年過ぎた。それまでは公宅に住んでいた。公宅もそれなりに立派ではあったが、自分の家では無いという

観念が働いて、なかなか落ち着けるという気持ちが無かったのも事実であった。

  

 

 

・・韮の花草に覆はれ開きたり

 ほまち畑の韮の種でも飛んだのだろうか。草の中に5,6本の韮の花が見える。草に覆われ風を防いでいるせいか、

畑の韮よりもすくすくと育っている。

 

 

・・人の足とどめし紫陽花枯れにけり

 晩秋から夏まで咲き継いだ紫陽花も銹色に枯れ出した。枯れた鉄色のあぢさゐも趣があるものだが、来年の花のためには良くない。

最盛期には携帯やデジカメ、さらには高級一眼カメラで撮っている人もいたが、まだ色気のあるうちに刈ることにした。

 

 

・・紫陽花の花さっぱりと刈りにけり

 じぃじの家は割と客人の多く来る家である。来る人は、「あぁ、紫陽花を切ったのですか。見事であったのに。」と判を押したように云う。

じぃじは「来年のためにね。」と答える。確かにまだ紫陽花の色も残っているうちに花を刈り取るのだから、残酷な男なのかも知れない。

でも、枯れ出して見苦しい姿をいつまでもさらしたくも無いのだ。このような大きな紫陽花の株が3株あり、来年はもう2~3株増える予定である。

・韮の花‥写真4枚・俳句2句:紫陽花・写真2枚・俳句・2句

 


ひまわりや「イタリアの太陽」といふ女優(秋の向日葵写真6枚・俳句6句)

2015年09月21日 19時03分58秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

・ひまわりは夏の代表的な花だが、筆界道の花の町恵庭では今でも咲いている。まだがんばっているのだ。

 「向日葵」を「ひまわり」と読む。漢字の「向日葵」は中国語をそのまま「ひまわり」と読んでいるが、

中国語では「xiang/ri/kui(シャン・リ・クイ)」という。

 中国人の若者、学生は閑があれば向日葵の種を食べている。

 食べているというと、聞こえはいいが、ポケットに向日葵の種を入れておいて、閑があると手をポケットに入れ、

つまみ出しては、前歯で殻を割り、中の種はたべ、殻は何処にでも散らかすのである。このために女の子は上の前歯2本を削っている子もいる。

従って、廊下も教室の床もこの向日葵の殻とカボチャの種が散らかっているのだ。

 「ひまわりの種」と「南瓜の種」が炒られて塩味がついて、袋に入って売っているのだ。

・・北海道には芝桜の名所、ラベンダーの名所、などあるが、向日葵というと「北竜町」が最も有名であり、

世界のひまわり30種類、150万本の向日葵が山一つひまわり畑となり、今年の場合25万人の来客者があったという。

ここの向日葵を見ると心に勇気を与えてくれる向日葵畑となっている。

・・・映画「ひまわり」は1970年ソフィア・ローレンと、マルチェロ・マストロヤンニのイタリアの2大スターを主演に迎えて作られた映画だ。

じぃじが、ン歳の若い頃であったが、どこでこの映画を見たか思い出せないのだ。「ボケたからだ」といわれれば返す言葉は無いが、

この映画を見ながら泣いていたことと、ソフィア・ローレンの魅力にどっぷりとはまっていたことだけはあざやかに覚えている。

 話の内容は、戦争によって引き裂かれた男女の愛を描いたドラマで、結婚したばかりで幸せな日々を送っていた二人だったが、

第2次世界大戦が勃発し、アントニオはソ連の最前線に送られてしまう。

 終戦後、帰らない夫を探しにソ連を訪れたジョバンナは、命を救ってくれたロシア人女性との間に家庭を築いていたアントニオと再会する。

こんな内容だった。

 恵庭でリバイバル映画が開催された時にこの「ひまわり」を見たが、若いときに見た感激は無かった。

そんな自分を年老いたと思い、可愛くない奴とも思った。それでも、ソフィア・ローレンは今でもあこがれの女性なのだ。

 ・・・・シルバーウイークで5日間の連休と世間では騒いでいるが、じぃじは「恵庭白扇俳句会」「恵庭市民講座」「句写美・96号」の
 
それぞれの資料作り、本作りで休む暇が無い。
 
 それでも、10月7日に「句写美・神戸句会」に行くために、靴を買いに行ってきた。
 
じぃじは下駄(げた)愛好者だが、まさか下駄で行くわけにも行くまい。飛行機にも乗せてはくれないだろう。
 
 明日は着るものを買いに行こう。Tシャツでは行かれまい。^^
 
 5連休は非常に珍しいことで、この次に来る5連休は11年後だという。
 
 「11年後を楽しみに待っていようと思うのだが。」といったら、
 
下宿のおばさんに、「バカじゃ無いの、それまでいきているつもりなの。」と一笑されました。^-^
 
 
 

・・ひまわりの大海原や北竜町

 

 

・・ローレンの「ひまわり」を恋ふ秋の空

 

・・ひまわりや「イタリアの太陽」といふ女優

 

 

・・向日葵の種ひしめけり秋天下

 

 

・・秋の日へひまわりの金輝かす

 

 

・・向日葵を我が人生の金冠とす

・「秋の向日葵・写真6枚・俳句6句」

 

 

 

 


・チトニアの花波の音風の音//朝霧草のこまかき花へ秋至る(チトニア3枚・朝霧草3枚)

2015年09月09日 13時56分15秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

・チトニアの鮮やかな黄色い花も1週間ほど咲いたかと思って見ていたら、散ってしまった。

真ん中の芯だけは黒ずんだが遺っている。まるで小さな向日葵だと思ったら、別名「メキシコ向日葵」とも云うようである。

・・礼文朝霧草も決してきれいでは無いが、小さな黄色い花を咲かせている。

勝手に「礼文」を付けたのは、礼文の朝霧草だからである。この朝霧草は礼文島にはあるが、利尻島にはない野草なのだ。

わずかに利尻富士町の燈台山にあると聞いたことがあるが、見たことはない。

・・・次々にじぃじの小庭から花が枯れて行く。寂しい限りである。

 

・・チトニアの花波の音風の音

 

 

・・秋風にむしばまれゆく花の色

 

 

・・華麗にもメキシコひまわり立ちあがる

 

 

・・朝霧草のこまかき花へ秋至る

 

 

・・乱れ咲き朝霧草の花煙(けぶ)る

 

 

・・潮境礼文朝霧草の花

・チトニアの花(三枚・3句)+礼文朝霧草(三枚・3句)

 

 

 


珈琲の湯の滾る朝吾亦紅(写真9枚・俳句9句)

2015年09月07日 17時51分53秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

・「われもかう」を漢字で書くと「我毛香」「吾木香」「吾亦紅」と「広辞苑」には三種類書かれてある。

「角川俳句大歳時記」にもこの三種類である。

・・吾亦紅の俳句をこんなに作ろうとは思わなかった。

「鴻風俳句教室」の会員の方が「吾亦紅」の俳句を投句してきたが、

「吾亦紅」の花から承けるイメージとはあまりにもかけ離れていたので、見本の俳句を作った。

・・・「吾亦紅」のイメージはやはり、「ちあきまさと」の歌っている「吾亦紅」なのだ

作詞は「ちあき哲也」だがその中の一説に「盆の休みに帰れなかった//俺の杜撰(ずさん)さ嘆いているか//

あなたにあなたに謝りたくて//山裾の秋ひとり逢いに来た//ただ謝りたくて」の世界なのだ。

・・・・俳句ができると、「吾亦紅の花」の写真もほしいと思った。数年前に図書館に行く手前の家にあったことを思い出し、

それを求めて云ったが、ザンネンながら無かった。

それで、そのあたりを「われもかう・吾亦紅」と歩いていると、ある家の庭に咲いていた。

さすが「花に恵まれた庭の恵庭」と云われるだけあり、帰ってきたら3500歩ほどで10枚ほどの写真を撮ってきた。

充実した1日であった。吾亦紅がそよいでいた。

 

・・珈琲の湯の滾る朝吾亦紅

 

 

・・千切ること難し墳墓の我毛香

 

 

・・吾亦香漢土の空に揺れをらむ

 

 

・・吾亦紅カメラ携え見に行かむ

 

 

・・川に下り水のひほひの吾木香

 

・・我毛香閑あれば読む萬葉集

 

・・ちち、ははも姉妹もあらじわれもかう

 

・・発願(ほつがん)に母住む浄土われもかう

 

 

 

・・吾亦紅俳句を閲しパン一枚

 

・吾亦紅(写真9枚・俳句9句)

 

 


妹を欲せし日あり秋桜(コスモス7枚・俳句7句)

2015年09月04日 11時09分13秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

・今年のコスモスの花も終焉に近づいた。

毎年のように思うことなのだが、コスモスはか弱い花なのか、それとも芯の強い花なのかと云うことである。

少しぐらいの大風には逆らわず、風にそよいでおり、芯の強い花だと思う反面、

何かの弾みで、手や足が触れると、すぐに折れてしまう。こんなのを見るとなんと芯の弱い花だろうと思うのである。

・・道東に「遠軽(えんがる)」という町がある。ここにある「太陽の丘えんがる公園」には、

20種以上1000万本のコスモスが咲いていると、観光課では云っている。

ここが北海道一、いや日本一のコスモス公園かもしれない。

・・・だが、1000万本あるかどうかは知らないが、札幌に「国営滝野すずらん丘稜公園」があり、遠軽に負けない

規模を誇っている。

・・・・わが小庭にも毎年10本程が、場所を選ばず咲いている。種がこぼれるのであろう。

コスモスにはやはり薄紅色のコスモス色が似合うのだ。

 

 

 

・・コスモスを看視し花蜂伝ひ飛ぶ

 

・・「来る、来ない」花占ひの秋桜

 

・・妹を欲せし日あり秋桜

 

・・コスモスの白より生る雲の影

 

・・コスモスのしがらみ運河の水澱み

 

・・飛び去りし蜻蛉の影や秋桜

 

・・コスモスの丘登りつめ海の紺

コスモス7枚・俳句7句

 

 

 


詩想沸く駅の階段立ち葵(立葵・4枚・他1枚)

2015年09月01日 13時04分11秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

・立葵も終わりとなった。

子供の頃は「コケコッコー花」と云って、ひとひらの花を上手に開いて、鼻のてっぺんやおでこに貼って遊んだものである。

・・じぃじは北海道の小樽市で生まれた。「小樽別院稲穂町の説教所」であった。

小樽駅の一つ手前の駅は「南小樽」と云うが、小樽は山坂の多い町で、この「南小樽(通称・南と樽をとって南樽(「なんたる」)は

谷の底がプラットホームで、そのてっぺんに駅がある。その山の上まで登る駅の階段がすごいのである。

・・・その崖一面に「立葵」が咲き、子供心にもなんてきれいなんだろうと思ったものである。

それも今では少なくなってしまった。種がこぼれるのだろうが、自然に消えて行くものなのだろう。

・・・・千日紅も百日紅も今年の盛りを過ぎた。今日からは9月に入った。

 

 

・・心中の情念陰り立ち葵

 

・・情念の赤もて窄む立ち葵     窄む=すぼむ 

 

 

・・朗らかに十本ほどの立ち葵

 

 

・・詩想沸く駅の階段立ち葵

 

 

・・紅玉の千を挿頭に千日紅

 

 

・立ち葵4枚・他1枚・俳句6句