鴻風俳句教室

皆さんのホームページです
写真と俳句で美を追求しましょう
そしてこの世に生まれてきた証を残しましょう
 

吉野山:おみ堂の前に立つ煙山桜//香煙と思へぬ煙山霞

2013年06月25日 14時12分30秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ
  


  



>おみ堂の前に立つ煙山桜
>香煙と思へぬ煙山霞





>最盛期過ぎし桜の吉野山















俳 句

>>おみ堂の前に立つ煙山桜

>>香煙と思へぬ煙山霞

>>最盛期過ぎし桜の吉野山


>吉野山には石碑が数基見ることができた。 
 その中の一基に最初に「花」と読め、最後に「芭蕉」と読める石碑が一基あった。
 
>吉野で詠んでいる句は、「芭蕉と吉野山」の説明板の通り、3句よりないが
 上の条件に当てはまる俳句が一句有る。

>>花をやどにはじめをはりやはつかほど

>この句であろうと思われるのである。吉野山の風雨に晒され、文字は磨滅しているが、
 この句より無いであろうと思われるのである。

>全集などでは
 「よしのにて桜見せふぞ檜の木笠」が先の句に続いてある。
 したがって、先人が、この「花」の句も吉野で造られたものとして、
 石碑にしたのであろう。

>この「花」の句は、「つぼみ始めてから散り終わるまで、折々の花あの景趣に魅せられて、
 ついうかうかと二十日余りも花の下に逗留したことであった。」と言うのである。
 ついでにこの「花」は桜ではなく「牡丹」の花で詠んだものである。

      

奈良公園2:>大仏を守る広目天若葉闇//春風やふつくら白き鹿の尻

2013年06月18日 19時20分52秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ


大仏を守る広目天若葉闇



昼寝覚仏の手上逃れ得ず



 


道真の和歌を思へり若楓



 



傾れこむ新緑にほふ大仏殿


 


群外れし鹿の眸に春愁


 


灯籠の並ぶ若葉の三月堂




萌え出づる若草を吹く風の艶






花馬酔木目立たずに咲く奈良公園




春風やふつくら白き鹿の尻



 



・俳 句

>>大仏を守る広目天若葉闇

>>昼寝覚仏の手上逃れ得ず

>>道真の和歌を思へり若楓

>>傾れこむ新緑にほふ大仏殿

>>群外れし鹿の眸に春愁

>>萌え出づる若草を吹く風の艶

>>花馬酔木目立たずに咲く奈良公園

>>春風やふつくら白き鹿の尻


・東大寺の大仏様

>東大寺のご本尊の大仏様は「盧舎那仏」です。
 聖武天皇の発願により創建されたのでした。
 752年(勝宝4年)4月「大仏開眼供養会」が盛大に厳修されました。
 その後も、講堂、東西両塔、三面僧坊などの諸堂が作られました。

>盧舎那仏の名は宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、
 世界を照らす仏、光り輝く仏の意味なのです。
 左手は宇宙の智慧を、右手に慈悲を現しながら、
 人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられる姿なのです。合掌

奈良公園・東大寺:背後より見る東大寺朝霞//>花の寺衆生済度の盧舎那仏

2013年06月12日 19時39分49秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ



>>背後より見る東大寺朝霞


>>万葉集の歌:見渡せば春日の野辺に霞立ち 咲きにほへるは櫻花かも


>>若葉生ふ世界遺産の東大寺




>>春風と共に入りたる大山門


>>花の香に包まれ左右の仁王像




>>大仏とあふたかぶりを葉桜へ






>>中島に若柳が揺れ朱の鳥居


>>廻廊に添ひ乱れ咲く糸櫻




>>春の雲八角灯籠の音声佛






>>花の寺衆生済度の盧舎那仏


>>俳 句

>背後より見る東大寺朝霞
>若葉生ふ世界遺産の東大寺
>春風と共に入りたる大山門
>花の香に包まれ左右の仁王像
>大仏とあふたかぶりを葉桜へ
>中島に若柳が揺れ朱の鳥居
>廻廊に添ひ乱れ咲く糸櫻
>春の雲八角灯籠の音声佛
>花の寺衆生済度の盧舎那仏

>>バスガイドさん曰く。「正面に見えてきましたのが、東大寺ですが、裏から見ております。
  今日は、滅多に通らない裏道を通ってきました。正面からは見る機会もあろうかと思いますが、
  このように裏から見ることはないと思います。是非、記憶にとどめておいて欲しいと思います。」
  この言葉が、妙に印象に残った。
  確かに、裏から見る東大寺はないのだろう。そんなこと今まで思ったこともなかった。
 
>>奈良公園を案内してくれたオジサンは、口から生まれてきたのだろうかと思うほど、
  しゃべりまくっていた。
  そのオジサン曰く。「奈良公園は全国で2番目に大きな公園ですが、1番目はどこでしょう?」
  この質問に答えることができなかった。
  そのオジサン曰く。「一番は北海道の大沼公園なんです。北海道の人が知らないなんて、
  あなた方、それでも北海道の人ですか。」には、反論する言葉がなかった。

>>大沼公園も確かに公園には違いないが、なんだかその答えが正しいのかどうか疑問に思えてきた。
  それが正しいなら、「大雪山国立公園」や「支笏・洞爺国立公園」などの方がさらに大きいだろう。
  「奈良公園」は奈良市内にある公園だから、「市内にある公園で」とか、なにか条件がつかないと
  比較できないだろう。大沼は正しくは「大沼国定公園」だから、「国定公園を含めて」など、
  条件をつけなければいけないだろう。
  あのオジサンは今日も奈良公園のガイドをしているのだろう。

平安神宮2:神苑の茶屋に桜花の散りかかある//神苑の暗がりに咲く花馬酔木

2013年06月09日 11時47分09秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

>>神苑の茶屋に桜花の散りかかある


>>飛石を渡る人なく松の花


>>対岸の社塔と社殿や花の棚


>>若葉風社塔の鳳凰羽ばたけり



>>神苑の暗がりに咲く花馬酔木




>>池の面の水皺に初夏来てゐたり




>>鷺一羽動かず湖面の花の影






>>晩春の唐橋が見え湖暮色












>俳 句

>神苑の茶屋に桜花の散りかかある

>鳶石を渡る人なく松の花

>対岸の社塔と社殿や花の棚

>若葉風社塔の鳳凰羽ばたけり

>神苑の暗がりに咲く花馬酔木

>池の面の水皺に初夏来てゐたり

>鷺一羽動かず湖面の花の影

>晩春の唐橋が見え湖暮色


>>平安神宮の神苑を一巡する。
  テレビで、この庭を手入れしている庭師の言葉だが、
  「この庭の一番景色の良いところは、一般客には見えないようになっているんです。」
  と言っていた。

>>しかし、枝垂れ桜を十分堪能させていただいた。
  古い電車にもお目にかかり、懐かしいおもいをした。

>>バスガイドさんが、「あれが、急がば回れ瀬田の唐橋の唐橋です」といったが、
  確信は持てない。
  ただ、なぜ「急がば回れ瀬田の唐橋の唐橋」と言われたかと言うと、
  急ぐなら、舟で琵琶湖を渡れば良いのだが、比叡山から吹き下ろす風で、
  舟がひっくりかえることがあり、命を奪われることがあった。
  だからこそ、急ぐなら遠回りでも橋を渡った方が良い。と言うのである。

>>この日のホテルは大津市の「ロイヤルオークホテル スパ&ガーデンズ」であった。
 

平安神宮1:神宮の朱塗りの鳥居四月寒む//神苑へ入り行く人みな旅衣

2013年06月05日 09時40分37秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ



>>神宮の朱塗りの鳥居四月寒む




>>林立の朱塗りの柱桜陰


>>神苑へ入り行く人みな旅衣




>>精霊の漂ひ遊ぶ花の下






















>>石楠花のうすくれなゐや神の庭


>>花屑の浮かぶ水面や神の池


俳 句 

>神宮の朱塗りの鳥居四月寒む

>林立の朱塗りの柱桜陰

>神苑へ入り行く人みな旅衣

>精霊の漂ひ遊ぶ花の下

>石楠花のうすくれなゐや神の庭

>花屑の浮かぶ水面や神の池


>>「平安神宮」へ参詣した。
  他のたとえば「醍醐寺」にしても、入場すると、その説明パンフレットをくれたが、
  ここの平安神宮では何一つ説明文の書いたパンフレットはもらえなかった。
  パンフレットなどなどなくとも、天下に知られた平安神宮だといいたいのだろうか。><

>>岡崎公園の北にあり、広い敷地を誇っている。
  1895年(明治28年)平安遷都1100年祭を行う時に建立され、
  桓武天皇を祭り、京都全市の総社としたものである。
  1940年(昭和15年5月)には、孝明天皇の神霊も合祀している。
  社殿は、平安京の宮殿建築を偲ばせている。
  なお、神苑は樹木が多く、日本式庭園の典型として名高く
  ことに春の紅枝垂桜が咲くころは美しい。 (交通公社の新日本ガイド・京都)参照

>>参照したのは、昭和49年9月発行の第2刷のものである。
  早い話が、昭和49年というと1964年だから39年前のガイドブックである。
  自分でも、よくもこんな古い本を大事に持っていると思うが、
  それにしても、なんとそっけない説明であろう。
  「岡崎公園の北」と言われても、そもそも岡崎公園がわからない。
  「広い敷地を誇っている」と言われても、どれほど広いのか対比するものがない。

>>50年経過してどのように書き改められているか、買ってきて読み比べたいとも思う。
  思うといっても「交通公社」って今でもあるのでしょうか?
  JTBや阪急は、1週間に1度どころか、驚嘆なこと言うと、毎日のように、
  団体旅行の案内が届くが、交通公社って見たことないよね。^ー^

>>毎日、120~130人の方が、この拙いブログを見に来てくださっていますが、
  コメントは、多くて2~3人。どうぞコメントを残してくだされば嬉しいのですが。
  句写美じぃじ
   


京都・二条城2:>城門に春の陰翳忍びよる//本丸の白壁に映ゆ糸桜

2013年06月01日 18時00分10秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ

>>城門に春の陰翳忍びよる






>>伸びたがる松の花々濠の水


>>咲き始むつつじも桜に負けはせで


>>内堀に掛かる橋あり松の芯


>>本丸の白壁に映ゆ糸桜
















>>俳 句
>城門に春の陰翳忍びよる
>伸びたがる松の花々濠の水
>咲き始むつつじも桜に負けはせで
>内堀に掛かる橋あり松の芯
>本丸の白壁に映ゆ糸桜

>>本 丸
 1626年(寛永3年)三代将軍家光の命により本丸は増築されたものである。
 もとは、五層の天守閣が高くそびえ壮麗を誇っていましたが、
 1750年(寛延3年)に落雷のため焼失。
 1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。
 現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893~94年(明治26~27年)にわたり、
 ここに移し建てられたものである。
 宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なものであり、重要文化財に指定されている。
 本丸御殿南側にある庭園は明治時代に作庭されたものである。(入場パンフレット:「元離宮・二条城」より)

 次回は「平安神宮」