●夕張紀行・そのⅡ(11/13)
今日の俳句
・昔日の卍線とよ風は秋
・銹つきし転轍機あり秋の花
・毀たるを待つ炭住や泡立草
今日の見たり・聞いたり
2010年08月31日(火)快晴
今日で8月も終わる。
明日から9月だと言うのに、この暑さはいったいどうしたことだろう。
パソコンの前に座っていても、これほど汗が吹き出すことはなかった。
なのに、体中から汗が噴き出す。
窓を全開にしていて、それなりに風も入るのに、体がちっとも冷えないのだ。
これだけ汗が噴き出したなら、少しはやせるだろう。
昨日、シャワーを使った後、秤に乗ったら、64,5kgあった。
62kgになりたいのだが、一向に減らないのはどうしたことだろう。
9時半に家を出て千歳の新しく生まれた俳句会の指導に行ってきた。
参加者はじぃじを含めて8人の出席者だったが、増えて行く気配にある。
元俳誌「にれ」の同人が二人、俳誌「あかしあ」の同人が一人。
句会の名前は「学びの句会」と名付けられた。
じぃじに学びたくて、こんな名前にしたそうである。
月1度の句会である。
夕張から、車も通らないような山道を越えていると、
その昔「万字炭鉱」があった跡地があった。
万字炭鉱は北海道炭礦汽船株式会社(通称、北炭)が1903年(明治36年)に
事業を譲り 受け、夕張炭鉱方面に輸送路を敷くことで生産量の拡大を図ることとした。
1905年、北炭は炭鉱名を朝吹家の家紋「卍(まんじ)」にちなみ、
万字炭鉱と命名し本格操業を開始した。
鉄道敷設のための測量を行う傍ら、
石炭の輸送は夕張本町方面へ通ずる索道を敷設し運搬を行うという
世界的にも珍しい方式が採られた。
しかし夕張駅方面への鉄道敷設計画は挫折、改めて岩見沢駅方面への敷設を開始。
難工事の末、1914年に軽便鉄道の規格で後の万字線が開通、出炭量も増加を辿った。
万字炭鉱の弱点は、複雑で脆弱な地質条件にあった。
山一つ隔てる夕張炭鉱以上に出水量が多く、1950年代には坑道が水没したこともあった。 生産量が安定化しないため、1960年に北炭は経営を分離し子会社化、
万字炭鉱株式会社が経営を行うこととなった。
その後も地下水量には悩まされ続け、
1976年には台風6号による出水事故のため主力坑道が水没し、
復旧できないまま閉山に至った。(ウィキ・ペディア・フリー百科事典参照)
現在は「万字炭山駅」の駅案内板が残され、転轍機があるだけであった。
炭住も毀れて土に帰る状態となっていた。
山桜と思われる木の枝が紅葉していることと、
炭住に咲く一輪の花が秋風に吹かれていた。
4月の訪問者:計5880名
5月の訪問者:計4124名
6月の訪問者:計7400名
7月の訪問者:計5770名
8月の訪問者:
8月30日(月)・162名
8月31日(火)・名
9月01日(水)・名
9月02日(木)・名
9月03日(金)・名
9月04日(土)・名
9月29日(日)・名
8月第1週:1418名
8月第2週:1386名
8月第3週:1406名
8月第4週:1263名
>>俳句に興味ある方は、「鴻風俳句教室」にも、
おいでください。ご一緒に俳句をつくりませんか。
http://www.rak2.jp/hp/user/koufuu52/
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今日の俳句
・昔日の卍線とよ風は秋
・銹つきし転轍機あり秋の花
・毀たるを待つ炭住や泡立草
今日の見たり・聞いたり
2010年08月31日(火)快晴
今日で8月も終わる。
明日から9月だと言うのに、この暑さはいったいどうしたことだろう。
パソコンの前に座っていても、これほど汗が吹き出すことはなかった。
なのに、体中から汗が噴き出す。
窓を全開にしていて、それなりに風も入るのに、体がちっとも冷えないのだ。
これだけ汗が噴き出したなら、少しはやせるだろう。
昨日、シャワーを使った後、秤に乗ったら、64,5kgあった。
62kgになりたいのだが、一向に減らないのはどうしたことだろう。
9時半に家を出て千歳の新しく生まれた俳句会の指導に行ってきた。
参加者はじぃじを含めて8人の出席者だったが、増えて行く気配にある。
元俳誌「にれ」の同人が二人、俳誌「あかしあ」の同人が一人。
句会の名前は「学びの句会」と名付けられた。
じぃじに学びたくて、こんな名前にしたそうである。
月1度の句会である。
夕張から、車も通らないような山道を越えていると、
その昔「万字炭鉱」があった跡地があった。
万字炭鉱は北海道炭礦汽船株式会社(通称、北炭)が1903年(明治36年)に
事業を譲り 受け、夕張炭鉱方面に輸送路を敷くことで生産量の拡大を図ることとした。
1905年、北炭は炭鉱名を朝吹家の家紋「卍(まんじ)」にちなみ、
万字炭鉱と命名し本格操業を開始した。
鉄道敷設のための測量を行う傍ら、
石炭の輸送は夕張本町方面へ通ずる索道を敷設し運搬を行うという
世界的にも珍しい方式が採られた。
しかし夕張駅方面への鉄道敷設計画は挫折、改めて岩見沢駅方面への敷設を開始。
難工事の末、1914年に軽便鉄道の規格で後の万字線が開通、出炭量も増加を辿った。
万字炭鉱の弱点は、複雑で脆弱な地質条件にあった。
山一つ隔てる夕張炭鉱以上に出水量が多く、1950年代には坑道が水没したこともあった。 生産量が安定化しないため、1960年に北炭は経営を分離し子会社化、
万字炭鉱株式会社が経営を行うこととなった。
その後も地下水量には悩まされ続け、
1976年には台風6号による出水事故のため主力坑道が水没し、
復旧できないまま閉山に至った。(ウィキ・ペディア・フリー百科事典参照)
現在は「万字炭山駅」の駅案内板が残され、転轍機があるだけであった。
炭住も毀れて土に帰る状態となっていた。
山桜と思われる木の枝が紅葉していることと、
炭住に咲く一輪の花が秋風に吹かれていた。
4月の訪問者:計5880名
5月の訪問者:計4124名
6月の訪問者:計7400名
7月の訪問者:計5770名
8月の訪問者:
8月30日(月)・162名
8月31日(火)・名
9月01日(水)・名
9月02日(木)・名
9月03日(金)・名
9月04日(土)・名
9月29日(日)・名
8月第1週:1418名
8月第2週:1386名
8月第3週:1406名
8月第4週:1263名
>>俳句に興味ある方は、「鴻風俳句教室」にも、
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